またどうでもよくされてる

さて、わたしはいま「年刊日本SF傑作選:量子回廊」大森望日下三蔵編(創元SF文庫)という短編SF集を読んでいる最中です。

ときどきこういうナントカ集を読んで、次に読みたい作家を探したり、よく目にするけど読んだことのない作家の作品を読んで、へーこうゆーの書く人なんだーと思ったりします。

今回もへーとかほぅとか思いながら読んでいるのですが、この短編集は面白いSFなだけでなく、、というか、SFならではの融合により、非へテロなセクシュアリティがたびたび登場しています。森奈津子は当たり前として。

そんでまあ、田中哲弥という人の「夜なのに」という短編までたどり着いたわけですが、この小説、クスっと笑える小説なんですけど、そのなかにチラッと残念なことが。たいした話じゃないんですけど。

短編なので、これについて書くとかなりネタバレになっちゃいそう。、、以下読まないで下さい。
主人公の少年(俊司)はある日近所の80歳のおじいさんに相談されます。おじいさんは俊司の同級生(佐織)と付き合いたいと言うのです。佐織の友人(友梨子)に思いを寄せる俊司は、これをきっかけ友梨子と近づければいいと話に乗るのです。(赤字は引用)

いよいよ、俊司と友梨子とその友人二人が同席するなかで老人が佐織に告白する、という場面です。老人が佐織に付き合っている人がいるのか尋ねると、
「今おつきあいしている人はいません、(略)、、でもわたし友梨ちゃんのことが好きなんです。友だちとしてではなく、友梨ちゃんを愛しています」と、「喫茶店内が真っ白に」なることを言います。
「高校卒業したらもう今みたいに毎日会えなくなると思ったら、黙っていられなくなった」吉沢佐織はそう言うとすっと立ち上がり、躊躇なく友梨子の頭を胸に抱いた。「友梨ちゃん大好きっ」
と「ものすごい」展開になるのですが、そこで老人が
「で、話の続きなんだけどね」平然と入り込んきて、友梨子の後頭部を愛おしそうに撫でている吉沢佐織に向って
「ぼくとおつきあいしてもらえますか」 (ここ小説のなかの笑いどころの一つね)


「今ものすごいことが起こっているのがわからんのか」と諭す俊司にも老人は「そんなことはどうでもよろしい」とどこ吹く風。そのとき

友梨子の頭を抱いたまま吉沢佐織が山下老人に微笑を向けた。「あたしでよければ」(この展開も笑いどころね)


その後山下老人と吉沢佐織は本当にお付き合いを始めたそうだが、どういう状態が「本当におつきあい」なのかはさておき、佐織が友梨ちゃんを好きってことはホントに「どうでもよろしい」ことだったのだなぁ!と思わざるをえません。
まあ、そもそも俊司と友梨子の恋愛成就(、、ってなんだよ。)の物語なので、その他のアイテムは全て脇役なんですけど、それにしてもねぇ。大人になってからの同窓会で明らかになる吉沢佐織は
「今タイにいるんだって」旦那さんの仕事で。
「そうか、ちゃんと結婚したんだなあ」
とのことです。ちゃんとじゃない結婚の仕方ってどういうの?ってことはさておき、あーそうなんだー。この小説ではいい年齢の男女カップル以外は全てムシされて吸収されるのねーって。まぁ、超どーでもいいんだけどさ。

くじけ作戦にくじけました

わたしは一人でレストラン入れないし、喫茶店も入れません。お一人様行動大不得意。ファミレスくらいはいけるでしょう?って言われるけど、それも想像しただけで弱り果てます。

そんなわたしが一人でデモに参加するなんて、ほんっとにハードルが高くて、ちょっとでも向かい風にあたったら、ちょっとでもつまづいたら、途端にくじけそうなんです。だから今日も、しくしく、さっそくくじけて帰って来たんです。えーんわたしのバカバカ!ごめんなさい。

だってね。ぼくたちわたしたちの町をなにかから守ってくれてるらしいけいさつの人たちが、デモの人たちをぐるっと囲っていたんです。あの制服を着た集団が囲ってるって、二つの点ですごい作戦に思えます。

だいいちに、なかで迎え入れてくれるかってことからして不安なのに、それ以前にハードルができてそのなかを通って入っていくなんて、相当の勇気が必要だもの、、。わたしみたいな人は「ここを通っていかなきゃ、、」ってイメージするだけで怖気づいてしまいます。
今日もぐるっと囲っている端っこから、どうしよう、どうやって入ればいいんだろう、えーんあたしにはムリ!!ってドキドキ泣きそうになって様子を見ていました。ちょっと様子を見て方針を決めよう、って。そしたら2秒後にさっそくおまわりさんが近づいてきて「公道なんだから通るなら堂々と前を通っていいよ」って勇気づけて(?)くれました。
けど、その意味は「通るかどうするのか態度を決めろ、ここに止まってるな!」ということなのでした。
「あ、いえ、あの、、ちょっと見てたい」ってモジモジ答えたら「み・て・た・い??!!」って他のおまわりさんも二三人近づいてきて、、、あの制服で取り締まり的に近づかれるってさ、怖くない?わたしはもうドキドキしちゃってシドロモドロになりました。公海も通っちゃいけないように、公道も止まって見てちゃいけないみたい。

まあ、こんな感じの作戦で、意気地のないわたしのような人は入れなくなっていて、デモに参加できるのは勇気ある選ばれし人だけ、ってことにさせられちゃってるんだけど、この作戦のすごいところは、それだけじゃないと思いました。それで二つ目。

おまわりさんたちにぐるっと囲まれていると、デモの人たちが孤立して特殊化されて見えちゃうの。
数値にたとえてみると、デモ=10 非デモ=0とくっきり二分されてしまって、殆どの人がそうであろう、そのあいだの曖昧な√5や2.3や8 2/1、あるいは−20や2068は見えなくしてしまう。*1
ふらっと5分だけ参加とか、曲がり角まで参加とか、たまに合流とか、そういうのができない。そういう行動ができないだけじゃなくて、そういう心情の持ち方もできなくしてしまう、心のなかの10でも0でもないグレーゾーンの部分はただただ埋もれてしまう、そういう効果があると思うんです。
これはすごい作戦だな、と思いました。


そういうわけで、くじける材料がいっぱい巻散らかされてることがわかりましたので、くじけがちなわたしは行くならせめて誰かと一緒に行くようにします。



追記6/7:そうなんですよね。わたしは遅れて行っちゃったので、すでにああいう形ができあがっていました。KIM625さん。でも早く行ってもこないだのとき(…っていつだよ?)みたく、モジモジする時間が長いだけかもって思って。ムズカシイですね。いや、ほんとは難しくないんだろうけど。いつかのときのために靴2ペアとっとこう。

*1:今日の場合休日の麹町だったせいかそもそも人通りなかったけど

切り離さないで

今日世界のニュースみたいなの見てたら、パレスチナの子どもたちの絵葉書を日本の子どもたちが見て考える、みたいな話やってたけど、コレどうなよ!って思った。戦争とか悲しいときにも明るい気持ちを忘れないで、みたいな話にしてっからしにさ、その絵葉書に描かれる戦車には必ずイスラエルダビデの星がついていたのに!!
こういう子供同士の交流っぽい雰囲気を演出したいときにはなおさら、戦争は空から降ってくる災難みたく扱って終わりにするよね?そういうのやめてくれない?単純化して見積もっても、戦争は攻撃しようと決めてる大人がいるからあるんでしょ。こんなことで締めくくってるようじゃますますわが国のわたしらはアホになる一方だよ。こんなことが繰り返されるせいで「政治的なこと」というキケン扱いの囲いが勝手に作られて*1、それらから離れた「中立」があるかのような錯覚起こしちゃうんじゃないの?

絵葉書に掛かれてた戦車にはぜんぶイスラエルの国旗が描かれてましたよ。ある人の主張を大きなメディアが全く無視するのは、「中立」じゃなくて、別の何かへの加担だってことをせめて少しでも仄めかして欲しい。ヘンな中立の立場を纏ってみせないで欲しいです。

*1:ほんとは何でも政治的だろが!

自虐

勧められて読んだ『自虐の詩』わたしならガマンならないところがたくさんあったが、ああいう風に描き出せる、一歩離れた視線が良かった。それでもなんというか、うーん、わたしなら絶対ちゃぶ台片づけないし乱暴はやめてほしいのですけどね。熊本さんが良かった。
でもまぁ貧困その他の問題を社会の制度や価値観の方面からはまったく捉えていないあたりが「自虐」なのかもしれない。そういうわけで、散文でも論文でもなく「詩」なのかね。
とつぶやいたところで寝ます。
(つけたしとこ。あと暴力のすえ子どもができて核家族になってこそ大団円みたいなのも、、、、、。)

http://pbh3.tumblr.com/post/381385496/sexist-vintage-ads

どうぞおかまいなく

今日は国立演芸場に愛する文治師匠の7回忌の会に行きました。
いやー、昨今の若い人も巻き込む落語ブームなどもろともせず、年齢層の高めの方ばかりの大盛況でした。懐かしの寄席の雰囲気。ま、わたしなんかは文治のころはピチピチだったんでいまじゃ変わり果てた姿になりまして、すっきり馴染んでるけど。あ、変わり果てたといえば、文月さんもピチピチの青年だった束治以来に拝見しましたが、落語の修業っていうのは想像も絶する厳しさなんだねぇ!と思いました。、、、なんて失礼なこと言っといてわたしもほぼ同年代なんですけどね。
あー、楽しかった!最近はラッキョウばかりだったけどまたゲイキョウにも行こう。蝠丸師匠のトリのときにしよっかな。

トータルで一杯

ずっと避けていたやっかいな書きものをしようと思って机に向ったんだけど、座った途端に舟を漕いでしまって、ガクン!となって気がつくと紙面には眠蝶体(by野田秀樹)がとびかってしまう、ということを二回繰り返しました。眠蝶体ならまだいいけど、舟を漕ぐって首にものすごく悪くて命が危ないじゃんか。だから、外に出て気分転換しようと思いまして、買い物メモを持って出かけました。
まずは食べると美女になるっつうからアーモンド他ナッツ類を、ついでに料理のお酒が切れそうだから安い日本酒を買って、ふと目に入って思い出したんだけど、眠気覚ましになるって噂に聞いたので、これで書類を乗り越えようとスルメも購入。
一つ一つは向上心から買ったのに、全部あわせるとただの酒飲みじゃん!
しかもメモ見るの忘れて、タワシその他買いそびれたよ…
ということを祝しまして(?)、一人で飲むのは好きじゃないけど、熱燗で一杯やってます。


最近毎朝ラジオ体操してるんですけど、明日からピンクレディのUFOも加えようかな、なんて、、あれ、わたしそんなに陽気だっけか。

土偶展

土偶展がいいと聞いたので、上野博物館に行ってきました。
土偶って何?豪華な土くれの埴輪みたいなもん?」と思ってたんだけど、
実際目にすると、ヘンタイだ!
意味不明なんだよ、
縄文人は、わたしたちがいま存在している「言語的な"正気"」とはまったく違う次元のなかに暮らしてたんじゃないかしら。
埴輪は「目的」とか「形状」とか、現代のわたしたちでも理解できるような範囲にある(気がする)
だけど、土偶はわたしたちの理解の地平を越えた別の地平のものみたいだよ。
wikiに宇宙人の姿と捉えてる人たちがいるって説明あったけど、それ納得だわ。おなじ言語や同じ感覚を共有してるとは思えない面白さだったから。
びっくりした。


あと全然知らなかったけど話題沸騰中なのか、めっちゃ混んでました。


土偶ってなんなのー?!!