ゲイ・カルチャーの終焉

Nigeria: Teen lesbians face brutal caningProtest to Nigerian High Commissioner by OutRage!  London – 24 October 2005 ナイジェリアでティーンエイジャー6人(12歳−17歳)が「レズビアンの罪」で鞭打ち90回の判決を受けた。

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NPRという公共ラジオで「Stories of Self-Awareness and Gay Culture」というトピックが。

self-awarnessに関しては、When I knewという本からいくつかの話の朗読。
いつ、どんなふうに自分がゲイ/レズビアンだと気づいたかという話です。こういう話やカミング・アウト本は結構あるし、どれも似ているんだけど、いつ聞いてもわたしには興味深く面白いです。なぜかしらん。


ゲイ・カルチャーについては、アンドリュー・サリバンがゲイ・カルチャーの終焉"The End of Gay Culture"について話をしていました。アメリカでは「ゲイ・カルチャー」はなくなっていくだろう、キリスト教右派共和党がまだ支えてはいるけれど(抑圧的な条件のもと日陰に生まれ保持される「ゲイ・カルチャー」という意味で。) ゲイやレズビアンは今後ますます「受け入れられる」ので、特定の「ゲイ・カルチャー」はなくなり、ゲイやレズビアンというアイデンティティは、もっと多様になっていくだろう。だって。


わたしの考え。こういうことって前から言われてるような気がするけど、、頭が働かないので今は何の考えもありません。何をもって一つの共通の「ゲイ・カルチャー」と呼ぶのか?、とか、、消費文化・消費社会とか、、ところで日本はどうなんかし、とか。