騒音

わたしはいま、とても静かな住宅街に住んでいます。車もあまり通らないし、隣近所から物音が聞こえることも殆どありません。この静けさを思うにつけ、わたしはラッキーだなと思います。

以前に住んでいたところは、これとは正反対でした。
住んでいる地区名を言うと必ず「お気の毒に、、」という顔をされるような町(でも、活気があるしイロイロあるし、わたしは気に入っていました)で、住人の殆どが、貧乏か病気かアル中かヤク中、あるいは貧乏かつ病気かつアル中/ヤク中というアパートに住んでいました。
ここでの生活を語りだすとキリがないのですが、騒音について一つだけ。(ちなみに、この建物では騒音以外の問題はありませんでした。)


わたしの部屋のすぐ下には、キチガイのおばあさんが住んでいました。この人はものすごいパワーの持ち主で、毎日毎日ずっと誰ともなく大声で罵っていました。窓をあけて外に向けて騒ぐので、「声が聞こえる」というささやかなレベルではなく、目の前で怒鳴られているくらい大声です。しかも、いつ寝てんだ?と疑問に思うくらいずーーっとなのです。
「○○○、死ね死ね死ね!!」だとか、、いまここで言うのも憚られるような罵声です。
電話をしているときには、電話の相手にもこの声は聞こえるので、よく「誰かそこで怒ってるの?」「何か起きたの?」と聞かれたのですが、わたしはそれに関して冗談を言う気分にもならず、ただ恥ずかしく、情けなく思いました。

管理人に言いつけて、あの人は病気だからどこかに知らせようと相談したのですが、管理人が言うには以前から何度かソーシャル・ワーカーが来たけれど、みんな自分で追い返してしまうとか。
仕方ないので、たまに管理人がドアをノックして注意し、それから五分ほど静かになる、ということを繰り返すだけでした。ときどき他の住人が、静かにしろ!と怒鳴り返すと、それがまた激しい罵りあいに発展してしまいます。


わたしが不運だったのは、このおばあさんに加えて、隣の部屋のじいさんがまた騒ぐ人だったのです。このおじいさんは、会うととても愛想のいい人なのですが、部屋に帰ると性格が豹変するらしくて、一日に100回くらい大声で嘆くのです。この二人の大物に囲まれて、まるで騒音のもちつきでした。おばあさんがずっと罵って、たまに合いの手を入れるみたいにおじいさんが嘆く。


そのうえ、誰かが怒ってドアをバタン閉める音、ドンドンと叩く音、ガラスの割れる音。階段でクダを巻いて演説をするアル中、、、これくらいは日常茶飯事です。


大きな音や人の怒鳴り声というのは、たとえ自分が怒鳴られているのでなくても、とてもダメージが大きいものだということをわたしは身をもって知りました。静かに眠れないだけでなく、心臓がドキドキすることもあるし、悲しくもなるし、やり場のない憎しみが満ちて暴発してしまいそうになることもあります。

温厚なわたしといえども、ときどき「銃さえあれば、あいつを殺してオレも死ぬ!」という気持ちになりました。騒いでいた人たちが何らかの手当てを受けられないことを気の毒には思いましたが、そんな「同情心」やら「理性」を凌ぐ勢いで「憎悪」を抱くこともありました。

こんな気持ちを抱いて暮らさなければならないなんて、本当に悲しいことだと思います。


それでわたしはよく考えたものです。
こういう怒鳴り声や騒音を浴びて暮らさなければいけない人たちは、どうやって生き延びていけるのだろう、と。わたしの場合は、怒鳴り声と喧騒程度でしたし、共存を考える必要はなかったし、いざとなれば引っ越すこともできました。わたしには逃げ場があったし、選択の余地もありました。
でも、もし自分の家族がこんなだったら、、。もしも自分の親が毎日怒鳴っていたら。夫が、恋人が毎日怒鳴っていたら。子供が怒鳴っていたら。
いつも大きな騒音に囲まれていたら。いつも戦闘機が爆音をたてて飛んでいたら。
それなのに逃げ場がなかったら。
戦争という文字を見るたびに、爆破のニュースを聞くたびに、、ドメスティック・バイオレンスのニュースを聞くたびに、その音を想像するだけでゾッとします。いったいそこの暮らす人たちはどうやって生きていけるのだろうと。


静かな生活が、誰もがもてるものではなく、運のいい人だけが持てる「贅沢」だなんて、恐ろしいことだと思います。