自分がサルだってことも実感してね

今日ね、図書館でいろいろ本を見ていたらすごいのを見てしまったよ。
『再就職 仕事の見つけ方ガイド』という中高年のおじさま向けの本。
この本、ホンットにあらゆる点でダメダメだと思うんだけど、そのなかでもビックリドッキリメカ発進なのは、「自信を持って再就職活動しよう」という章の「人生観を変える異質体験・冒険にトライ」という項目です。
何を言ってるかというと、「会社を辞めたというこの機会に、世の中の底辺を見ることを薦めます」と呼びかけています。
東京と大阪にある具体的な地名を挙げて、こうした「労働者のドヤ街」を「探検」しろと言うのです。そういった地区は、「底辺の労働者」がいる、「労働者の臭い」のする「非日常的な場所」で、「非常にディープな体験ができる」そうで、そこで「わが身の幸せを実感し反省してみよう」と言うのです。


もしかしてこういうのって当たり前によく言われることで、目くじら立てるわたしがヘンなのかもしれないけどさ、


もう一冊、
先日わたしは図書館で中村うさぎ山崎邦正という人の人生相談の本を借りました。人生相談が読みたいというより、わたし中村うさぎちゃんが好きなので中村うさぎが読みたかったのですが、それはとにかく、この山崎さんって人をわたし全然知らないけど、もしや徳の高い人かもしれないないなぁと思い、パラパラ読んでみたのですよ。そしたらこの人も似たようなことを言ってました。相談内容を忘れてしまったし、山崎という人の回答もうろ覚えなのですが、基本的に「アジアの貧しい国に行って、懸命に生きてる人たちを見てきなさい。そうすれば自分が恵まれてることもわかって、自分も頑張らなきゃと思うはずです」みたいなこと(うろ覚えです。)


善意だとは思いますが、、うーん、、、
わたしねえ、わたしがこの「底辺の労働者のドヤ街」に住んでたり「貧しい国」の人だったら、こちらの方々のようなご裕福な方にジロジロ見られてそのうえ勝手に解釈されて自分を頑張らせるオカズにされるなんて、ほんとゲンナリなんですけど。住人じゃなくても十分ゲンナリだし。
「非日常を探検」とか言って人の日常に土足で入り込んで「自分の幸せを実感」したりして、どんな趣味なのかし?こっそり思うのならまだしも人にまで薦めるだなんて、どんだけ他人事なんだ?っつか「自分たち」と「彼ら」の間にすっごい溝があるんだねー。んで自分たちは透明な存在なの。
スクリーンを見てるような気分なんだろうか、、。自分たちの生活を侵さない範囲で自分のいいように観察・解釈できる間だけ利用しようって。なんかすごい乱暴じゃないかしら、、、


わかった、そういうことしたいなら、白人の国の高級白人街に行って自分がサル*1だってことを実感してみたらどうかな。透明な存在気分が長すぎて感じられないかもしれないけどさ。


あとね、ここで挙げた本がこんなこと言ってたか覚えてないけど、ついでなので言いたい放題すると、「生きる意味」で悩んだりするのを「贅沢病」みたいにして片付けようとするのもちょっとわたしはあんまり、、、。一つは、その問いがその人にとっては生き死にの問題かもしれないのに他人が「贅沢だ」と言えるか?ってこと。もう一つ、生きる意味を問うのは金持ちだけの特許じゃないやいっってこと。わたしの妄想かもしれませんが、「貧乏で懸命に生きてる」というのと「純朴で単細胞」的なイメージを重ねられるとムカつきます。


あと、出来ない人だっているんだからやめなさいみたいな言い方。「アフリカの人は飢えてるんだから残さず食べなさい」ってやつ。「食べなさい」を言うために違う事情の人を出す、その言及の仕方が、自分はその人の問題とは無関係というスタンスで差別的な視線を再生産してる気がしてしまう。「耳が聞こえない人だっているんだから、話を聞きなさい」とか「結婚できないホモの人だっているんだから、結婚しなさい」とか言われたら「???」って思うと思うんだけど(思うよね?)、経済的な差になると結構こういう形ですんなり利用されがち(そのぶん可視化されてるのかもしれないけど)と思うのはわたしの妄想でしょうか。だいいちその十把ひとからげの「アフリカの人」って誰だよ。

*1:サルよ、ごめん