アンフェアトレード・コーヒー

わたしはコーヒー中毒です。だから、毎日たくさんのコーヒーを飲まずにいられません。
それで、ついスターバックスで買ってしまうこともあって、(大変に反省していますけれど、)


実は、そのたびに、ちょっと微笑ましい気分になってしまいます。
なぜかというと、「アラビアン・モカ」だとか「カフェ・ベロナ」といった商品に混じって

フェアトレード・コーヒー」が置かれているからです。


フェアトレード」が何かというと、、、、

フェアトレードとは、「公平貿易」ということです。(略)弱い立場にある生産者は、心を込めて栽培した作物でも、安い値段で買い叩かれることがあり、自立が困難になっています。

そこで、生産者の自立を支援するために、生産者から適正な価格で購入しよう、という運動が始まりました。それがフェアトレード運動です。(略)   (スターバックスのホームページより)


へえ、そうですか。
でもちょっと待って! 「フェアトレード・コーヒー」が(商品として)売られているということは、これ以外の商品は「アンフェアトレード・コーヒー」、つまり「不公平貿易」による商品だと告白しているように思えるのですが、、。もしやスターバックスってとっても正直者なんじゃないかしらん。


上の引用を使って説明すると、「フェアトレード・コーヒー」以外の商品は

「弱い立場にいる生産者は、安い値段で叩かれ、自立を困難にされていますが、
 それでも、生産者の自立など顧みず、こちらの決めた価格で購入しています。」


というわけで、生産者の過酷な現状を浮きぼりにする、こんな対比ができてしまうのに、フェアトレードを一部商品としてのみ取り入れるなんて、
ただ単に正直なのでしょうか? それとも「スターバックスにご来店する」という時点で、客は「フェアトレード」を望んではいないと仮定し、それでも一応「良心が咎めたくない人向け」も置いとくかな、程度に捉えているのでしょうか? イメージのためのポーズ?
それとも、何か深遠な意味があるのでしょうか?


グローバル化反自由貿易運動などの影響で、ここ数年大企業は「良心がある」風の態度を見せているので、どの企業のホームページにも「地域に貢献」だとか「ともに貧困と闘う」みたいなコーナーがあるのですが、そこのレトリックが面白いんですよね、というか、ディプレッシングというか。こういうコーナーで「言われてないこと」なんかを考えてみると、なかなか洞察力が養われると思います。


で、さっそくスターバックスの「良心」コーナーを見てたら、
やはりありました。「おかげで助かってます」の声。

ニカラグアのナントカさん「フェアトレードに参加して以来、収入が安定し、子供も学校にやれて、ウシも飼うことができました。」みたいな、生産者の声。

(注:「フェアトレードに参加して」であって「スターバックスのおかげで」ではない、それでもスターバックスのページに載ってることで、まるでスターバックスが貢献しているような雰囲気がでる。)


生産者は貿易的に「弱い立場」にいるだけでなく、「おかげさまで助かってます」的な発言をしなければならない弱い立場にもあるわけで、私生活もこうして公表してどれだけ助かってるか発表させられているようですが、


社長の感謝のコメントも載せろよ!
「アンフェアトレードのおかげで、収入が平均の人より421倍あり、今年は新しい別荘を二軒持つことができました。二人の子供たちは高級私立学校へ通うことができ、昨日はバーニーズで一人あたり6000ドルの買い物をしました。近所には航空滑走路も作られ、自家用機で各地の支店をまわることもできるようになりました。」
  (、、金持ちっぽいコメントがこれしか思いつかない。)


というわけで、そんなことやってないで、ぜんぶフェアトレード・コーヒーにしたらどうなのさ!

、、「自立を支援するために」という表現も恩着せがましくてウンザリします。みんなが「自立」できるわけではない社会の仕組みを問題にせずに、つまりグローバルな資本主義支配を問題にせず、個人のせいにして、あるいは不可抗力な流れとみなして、しかもそれを「救ってやる」的な態度はなんとかならないのでしょうか?