方針か差別か

ラジオを聞いていたら、こんな話題が出ていた。
アメリカのフィラデルフィアにある有名なステーキ屋(写真で見る限りテイクアウトのサンドウィッチ屋みたい)が、店先に怖い鷹の絵つきで「This is America. When Ordering "Speak English"(ここはアメリカ。注文は英語で)」と標示したという。(写真で見ると、そのすぐ下に、(これはどのお店にもある標示だけれど)「お店にはサービスを断る権利があります」)
このお店はメキシコ系の移民が多く住む地区の真ん中にあるというから、英語が母語でない人が多いと思われる。


で、これに対して市の人権委員会がクレームをつけている。この店は、「英語を話さない人たち」→「ある育ち/出自の人々」を差別し排除している、と。
一方、お店のオーナーは、(自分の祖父母が移民したとき苦労して英語を学んだように)移民は英語を話さないといけないと強く強く考えているらしい。



で、ここでの議論。お店のこの標示は、オーナーによるただの意見表明、「言論の自由」の行使なのか、それとも(レストランという"公共の"場での)英語を話さない人への差別なのか。そして、これに公的機関が関与すべきか否か。


ちなみに、法律に詳しくないシロウト考えだけれど、「言論の自由」と「差別」は対立する項目ではないとは思う。対立するのではなくて、暫定的に必要な条件なんだと思う。どんな発言も言論の自由のうちでは罰せられない、だからこそかえって、、差別暴力言動を罪と定めることと何が差別暴力と認識されるかが重要な争点なのだと思う。うまく説明はできないけれど、、わたしたちは夢の国の自由に暮らしてるのではなくて不平等な世界にいるのだから、「正義」を意識しないといけないと思うのです。だから場合によっては公的機関が介入するべきだと思う。


で、このお店の場合は、、難しい、、
「難しい」と言っても、(英語をアメリカの正式な公用語にすべきかという議論があるから「難しい」のではなくて、)これが「差別」かというとわたしのなかで答えは出ている。わたしにとってはこのお店のポリシーはマイノリティに対して差別的だと思う。わざわざこうやって書くほど、注文するのにどれだけ英語が必要なのよ?って思うし、タカの絵も威嚇してる感じ。でも、わたしが難しいと思ったのは、どれが差別でどれがお店の特徴かっていうのをどこで見分けるかってこと、、わたし個人としては割りとハッキリしていて、しかもそれぞれの場所の条件や環境によってケースバイケースだと思うのだけれど、でも残念ながらわたしが王様ではないので、わたしの区別が他の人に同意を得られるかというとそこが難しいと思う。

少なくても、こんな怖いお店に行きたい人なんて少ないと思うから相手にする必要もない気がする。(でもこういう標示があることじたい傷つかない?拒否されてる気がして。、、ま、どっちにしろこんなお店には一生行かないけどね!、、行く機会もないし)だから、公的機関が介入すべきか否かというと、この程度なら放っといていいんでは?とも思う。せいぜい考える機会として使えばいいんでは、、。



、、、と考えたところで、ふと、このお店みたいな"積極的な差別"ではなく、"消極的な"差別のことを思い出した。


たとえば、体格差別問題
わたしはこれを聞くまで全然気づきもしなかったのだけど、レストランや映画館の椅子に肘掛けがある場合、その椅子は人を選んでることになるらしい。なぜなら、左右の肘掛の間に入らない体格の人は、椅子に座れないのだから。それでサンフランシスコかどっかは体格差別禁止なので、映画館やレストランなどのパブリックな場所では「肘掛のない椅子も用意するように」ってことになってるという。


こういう、当事者じゃないとなかなか気づかない故の「消極的なバリア」は、利益という点からだけでも考えるべきじゃないかな。「当事者」って言うと「どの立場の誰がどういう当事者として発言できるか」っていう問題になりそうだけど。想像の力だって大事じゃないかし。

それから、「標示しない」ことによって消極的な選択をしてしまう場合と、「標示する」ことによって多くの人に語りかける場合もある。言葉に関していえば、レストランのメニューに写真があると、言葉がわかんなくても想像できる場合が増えるから、そうすると日本語以外のお客がもっと入れるだろうし、「英語のみ」といわれるよりは「英語もスペイン語も日本語も中国語も」って書いてある方が(そこに該当する人にとっては)歓迎されてる感があるし。
「何語でも頑張って対応します」ってのが一番わたしは好感持てる。その標示を何語で書くのか悩むところだけど。


、、、というわけで、話に収集がつかなくなったけれど、
そもそもこのお店の標示「英語で話せ!」自体が英語で書かれているので、英語を読めない人には意味不明のメッセージとなっているところが面白いのであった。


方針か差別か(+愚鈍ゆえの差別は差別か)

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【香港】香港人の過労はアジア1位、家庭との両立図れず
香港人の過労感が増している。国際人材コンサルタント、ハドソン・グローバルの調査によると、過労を感じている香港人の割合は昨年より増して40%を超え、アジアで最も高いことがわかった。

いつも思うんだけど、こういうのって何がいいたいの? 
どういう人に調査して、「誰の過労」を数えてるんだろ?
、、農業とか工業とかそういうところでも聞いてるのかし?
家庭をはじめ様々なシャドーワークを「シャドー」のままにしてない?
ということで、
Chinese Employers To Grant 15-Minute Maternity Break 
「中国の雇用主、15分の出産休暇を許可!」(←うそニュースです)
http://www.theonion.com/content/node/48743