自分の容姿を認められない

★写真でショックを受ける
このあいだの休み、若狭小浜旅行をしました。一番の目的は明通寺。山に囲まれて静かで、素晴らしいお寺です。それから神宮寺もすてきです。間違えて徒歩で移動してしまい、途中で泣きそうになりましたけど。
街にも出て、お箸にヤスリもかけました。すべてがとっても楽しかった。またすぐに若狭小浜へ行きたい。

、、ってことはいいのですが、このたび、できあがった写真を見てビックリ。
お寺や田んぼや旅館を背景に写っている、どこかで見たことあるような人物。
……このオバサン、、、誰?


っていうか、、、ギャーーっ!!


アタシ、、、こんななの?!…そうか、それで近頃は、、、いや、しかし、こんなにまで、、鏡で見慣れた顔のはずなのに、こうしてあらためて写真で見ると、、倒れそうなほどショック。。。


でもでも、昔あの人はこういっていたもん、、、それにあの人はあんなにもわたしを、、それに、あの人は、、、
必死に過去にすがるわたし。自己崩壊の危機に瀕した応急措置、過去に癒してもらおうってわけです。ああ、それなのに!かつての褒め言葉もいまは忘却の彼方へ、、こんなことなら一人ひとりにわたしが好きだったという血判つき証明書もらっておくんだった、、。こんなことを考えてはますます虚しくなるわたし。


いや、オバサンで何が悪い!って、もちろんそう思っています。このカテゴリーからして、社会の価値観の産物だと思うし、エイジズムは年齢だけじゃなくて、いつもジェンダー化されたエイジズムだと思う!それなのに、ああ、自分がこんなに内面化してるなんて…
いや、待てよ、、これはエイジズムだろうか。考えてみよう。わたしオバサン好きだし、わたしが人を好きになるのはたいてい「機転が利く人に惚れ惚れしているうちに」なので、人の見た目でも惹かれるのは「回転が速そう」という雰囲気だと思う、たぶん。 頭の良さそうなオバサンなんて大好きだもんな。
だから、わたしが自分の見た目にショックだったのは、「オバサン」だからではなく(年取ってきてるのも十分イヤ!なのだけど)、輝きがなくて不細工に見えるからかもしれない。うむ、きっとそうだ。そして、「輝きがなくて不細工」を「オバサン」と呼ぶのは、間違えている、それこそエイジズムの陰謀だ!
あー良かった、やっぱりわたしエイジズムじゃなかった、輝きズムだったんだ、ホっ。


って、、ホッとしている場合か。エイジズムだろうが何イズムだろうが、こんな風に見えるのはイヤ!全力をあげて抵抗するわ!!ここ数年は化粧なんてろくにせずに生きてきたけど、急に化粧したい意識が高まってきました。
フフフ、いまにみてらっしゃい!!