アンドロニカス

かなり前。友だちと『タイタス・アンドロニカス』を見たときのこと。ちなみに、これは、肢体切断や強姦、人肉パイなど残酷さ盛りだくさんのシェイクスピア劇で、主人公が「タイタス・アンドロニカス氏」である。


お芝居が終わり、ゾロゾロガヤガヤとお客さんが帰りはじめると、席を立ちながら友だちがわたしに聞いてきた。


「ねぇ、ロニカスはいつ出てきた?」


「…ん?ロニカス?????」 


、、 そう、彼女は『タイタス &(アンド) ロニカス』と思っていたのである。だから「タイタスばっかり出てきて、ロニカスはどこだろう?」と最後まで悩んでいたのだ。
それだってもポスターかチラシを見れば、「アンド」の位置がヘンってわかるだろうに、、確かに誘ったのはわたしだけど、ひと目も見る機会がなかったんだね。…だけどさ、それじゃわたしの「ロニカス」の発音もおかしかったでしょうに、、、思い込みとは恐ろしい。


というわけで、彼女は「ロニカス、いつ出てくるんだ?」と思いながら見ていて、後半になるとさらに「さっさと出てこないと、出番ないじゃん」とか「もしやわたしだけロニカスを見落としてるのかしら」と気もそぞろで、集中できなかったという。アホよのう。


そんな友人であるが、その後しばらくしてこんなことを言ってきた。
「あたしさ、こないだの劇が面白かったから、シェイクスピア読もうと思ったんだけど、セリフになってるやつばっかりなのよ。読みにくくてイヤだから、小説のほう探してるんだけど、全然ないのー。」


アンタ、ちょっと、シェイクスピアをなんだと思ってるのよ。
っていうか、いままでどこの宇宙に暮らしてたのよ!
一般教養至上主義の世界だったら、あんた、いっぺんでルーザーよ。



、、わたしもヒトのこと言えないけどね、、思えば、ブログなんて気取ったこと(?)しちゃってるけど、あたしたち「教養」のない環境で育ったんだっけ。と、この出来事を思い出してシミジミしてたところです。
自分でも使っておきながら、わたしは「教養」ってすっごく空っぽな言葉だと思う。空っぽだからこそ、ある種の価値観を押し付けるために都合よく使われてるんだと思うよ。(、、なんて思うのは、教養がない者のヒガミだろうか?)
でも、教養がないわたしたちが、「教養」とは別の次元で、「ロニカス」風に手探りで鑑賞したり学んだりできるのは、ある意味とっても贅沢なことなのかもしれない。…うーむ、やっぱり、ただの無知か。