ふたたびボインの親分

spongey2007-01-15

さて、ごめんなすって、ボインの親分であります。
いろいろ思うところがあり判断つきかねてるのですが、


まずもって、わたしはヘンタイですから、ヘンタイなところに注目して、、
もとい、小説に「ヘンタイなところがある」というよりも、何が書かれていようと勝手にヘンタイな見方をしてヨコシマな欲求を満たそうとするので、そのヨコシマな見方から感想文を書くと、、



この小説は
「男子は男子、女子は女子」「男子はこうで、女子はこう」という(異性愛主義的な)区別をハッキリと前提にしているので、その区分を侵すような行為や区分をあやうくする人はすぐに槍玉にあがり、物語を面白くする緊張感を生んでいます。これがこの小説の動力だと、まぁ思ってください。登場人物はこの性別の境界をもって描写されているので、境界に抵触しない人物、例えば子分二人については、全然特徴がなく二人の見分けすらつきません。そのいっぽうで境界に抵触する特徴のある2人↓は、こんな風な人物として描かれています。


まず主役の親分、「天下の大親分、清水次郎長の五代目を名乗る、人よんでボインの親分。2年C組に現れて以来、ウハウハの大活躍をする」のであります。
この人物は、「親分」であり、オトコギがあり、乱暴な言葉づかい、女の子とは思えないハレンチなことをする。ズバリ、女であることが問題にあがる存在なのです。それゆえ/一方で、ことさらに「ボイン」であることが強調され、毛糸のズロースは脱がされ、レースのついたパンティとブラジャーを着させられます。
こうして、特徴ある人物でありながら、女であることに「バランス」がもたらされているのです。


もう一人、のちに子分の一人になるお役者ミノという人物は「女みたいな、なよなよした男で、ボインの親分の隣に引っ越してきてから子分にしてくれと嘆願する」のですが、オネエ言葉でなよなよしているので、親分は「どうしていいかわからなく」なってしまい、「どなりでもしないと、ゲロをはくような気分に」なったりしてるのです。
案の定、お役者ミノは、本当に男か?と疑われたりもするのですが、おパンティを脱ぐまでもなく、子分のなかで一番腕がたつことが判明し、最後にはガールフレンドまでできる。「なよなよ」の反動か、男としてもっとも成功して描かれていると言ってよいでしょう。


とまあ、こんな風な人物や行為によって物語が動くのですが、、こういうアヤシイ人物を登場させ、しかもウハウハと楽しく描いている点では、この小説はエライです。しかし同時に、これらの人物がヘンタイにならないように、すぐに「なおされたり」、別の証拠や救済によって「正常域」のバランスが保たれています。まったく、これを読んでいると「ははぁん、性別区分というものは、そういうけしからん行為やけしからん人を取り締まる根拠となるようにに運用されてこそ、維持されているんだな」と感慨深いものがありますよ。


しかしながら、ここが大事なのですが、けしからん部分を正すことに夢中になっているスキに、「けしからん」とみなされない行為、性別の境界を侵すなんて微塵も疑われない行為に関しては、かなりゆるくなっていて、お咎めがないんです。そこで、問題にすらされないこの大前提こそが隠れ蓑になって、この小説にアヤシさが出現するのを許している、いや、わたしのヘンタイ視線をトリコじかけにすることを可能にしているのです。


なんのことかというと、最も顕著なのは、「女の子同士は、性的な関係になりえないので、何をしてもいい」という前提のことです。
ほら、女の子同士は同じ部屋に泊まってもアヤシまれないじゃない?こういうのって、女の子同士にエッチさを認めない異性愛主義の一面でもあると思うんだけど(その裏返しで、同性愛とわかったとたんにエッチさが過剰に読まれるってのもあるかもしれないけど、)、ヘテロな性別区分を前提にしているだけに、そういう「イノセントな」女の子同士の場面がこの小説には結構あるのですよ。
しかも、読者男子諸君にサービスするため、そこかしこにエッチ・スケッチなウハウハ場面をちりばめているので、無邪気にも、健全な青少年の異性愛に影(いや、光?)を落としているのです。


ま、要するにあれですわ、女の子同士のウハウハなアレをですな、、想像する場面がですな、、、ウッシシ、、
 …あら、いけない!
いくら世の中がハレンチだからといって、みずからハレンチに下落してしまった。はしたないったらありゃしないわ。ごめんなさいませね。ま、みなみなさま、きいておちょうだいよ。どんな場面かウハウハなのかコッソリお話ししますとね、、、、って急に小説に出てくるおミノの口調を真似てみましたが、この先は次回へ続きます、、、たぶん、、、。わたしアホだから続かないかもしれないけど、ご堪忍あそばしてネ。


(一応おことわりしますが、この小説、こんなヘンタイなこと↑が強調されている話ではありません。わたしがヘンタイなんです。)