理想の王子さま

最近友だちとわたしは思春期なのか知らないけど、この世界で自分であることの不安と疎外感に苛まされていて、「自分」というよりは「役割」になりきりたいなどと話しているのです。友達なんて「私もう『菅原ナントカの母』って名前でいいよ!」などとフェミニズムを帳消しにする?ようなことまで言い出す始末。(ま、こう思うのもモチロン、もとをただせば資本主義のせいで労働から疎外されてるせいなんですけどね!)


そんな自我病のわたしたちがこのたび楽しんだのは(皮肉にも資本主義の権化ディズニーが作った)『魔法にかけられて』です。というのも、この映画は「おとぎの国」と「現代社会」が出会うというものなんですが、「お伽噺」パロディでありながら「現代人自我」のパロディみたいなんですよ。


なんといっても「おとぎの世界」は「…こうして二人は結ばれ幸せに暮らしましたとさ」といった運命の支配する世界。王子は王子、姫は姫として疑問の余地なく存在していてやるべきことも決まっているので「自分とは何か?」といった問いは存在しないのです。


一方で、現代ニューヨークの現代人といえば「自分とは何か?」とか「『個人』としての自分は人間関係をどうすればいいか?」といった自意識過剰世界。


この二つの全然違う世界の人たちが出会ってしまうわけで、わたしたちが考えるような「自我」のない人たちとわたしたちのような自我人間とのやりとりが面白いんですよ。例えば、お伽の国のお姫様は「やがて王子が助けに来て二人は結ばれる」と信じている(というかそれ以外の可能性を考える必要もない)ので、「自分はどう思われて、どんな人とどんな関係になるのかしら?」といった心配は一切しません。現代人に「でも、あなたはデートとかしてお互いを知りあったりしなくていいの?」と聞かれてもサッパリ意味がわからないのです。「お互いを知り合うってどういうこと?、、何を知りあうわけ?」というわけ。いいなー、それ。


残念ながら?お姫さまはだんだんと現代に馴染んでいって「現代っ子」になっていくんですが、お姫様を迎えに来た王子様は頭が鈍いせいもあって全然馴染まないで王子様のままなんです。「自己とは何か?」とか「自分探し」とかとは無縁の、一分の疑いもなく確固たる王子様として存在している王子様。なんてステキなんでしょう!結婚して欲しい!!


…という感想を、先日他の友だちに話していたんですが、「でね、何がステキって、王子さまがすっごくすっごくステキなの〜!!!!」と言ったら、注意されました。

「シーーーッ!!ちょっと声が大きいわよ、いい年超えてそんな夢みるように「王子さま」とか言って、世間に聞かれたら相当気の毒な人よあなた。」
 ってこの言い方もヒドイ、、、ホントこんな現代はキライよ!!王子さま迎えに来て〜


とはいえ、この映画には難点もあります。
最後に2組の男女カップルが誕生して終わるんですが、そのどちらのカップルも男の属する世界に女が引っ越すんです。現代男とお姫様が結ばれ、お伽の王子と現代女が結ばれるのはいいとして、どうして当然のように女が男のいる側に引っ越していくんだろ?これじゃ男の社会を確固とした不動の社会とみなして女を交換可能なコマのように見せちゃうじゃんかよ。せめてどちらの世界に住むか話し合いの場を設けろ!と思いましたね、、菅原ナントカの母になりたいとか言ってるわたしたちですが。
ま、リスが素晴らしい点をもってこの難点と相殺してもいいですけどね。