何からの自由なのか

資本主義支配の要因の一つは、「自由」というイメージの占有だ。

どのような現実性もない漠然とした「自由」。


自由という言葉を「(誰の)〜〜からの自由」と明記してみると、資本主義下の「自由」が
果たして「自由」かどうか疑わしくなるだろうし、そうやって疑ってみる必要があるだろう。


例えば「職業選択の自由
その「自由」の条件が「競争」だと忘れることはできない。
誰もが同じように職業を選べない(それどころか職そのものがない)ことを考えれば
資本主義の要請する実力主義能力主義と密接に関係していることは明らかだ。
こうなるといったい「何・誰からの自由」なのかさっぱりわからない。
求人の年齢制限はいったいどのような自由だというのか。
封建社会からの自由は資本主義への従属、しかも不完全な。)