2005年7月2日
... ルーサー・ヴァンドロスが7月1日、ニュージャージー州の病院で死去した。


この知らせでとっても好きだったおじさんを思い出して悲しくなった。
おじさんはわたしをルーターのコンサートに連れてってくれたの。


5年以内にまた会おうと約束し、メールのやりとりをするたびにあと4年半、あと3年と10ヶ月、あと3年8ヶ月、と数えていたのに。あるとき「入院していた」というメールがきて、それきり連絡がつかなくなった。電話も手紙もメールも届かない。二人きりの仲だったから誰にも訊ねられない。


この人は、ひょろっと細長く、いつもカラフルなアフリカ帽子とそれにあわせたベストをつけている。小さくて丸い、うさぎを彷彿とさせる顔。「片足をアフリカに、片足をアメリカに」という詩を書いていた。

知り合ったのはいきつけのカフェ。わたしが一人で飲食できる数少ない場所のひとつで、その日もわたしは一人座っていた。いつものようにお昼が近づき混雑しはじめると、わたしのテーブルに近づいてきて相席してもいいか訊ねた。

めったにないことだけど、ときどき、この人とはどうしても知り合わなければならないという気になることがある。知り合いたいなという柔らかな希望というよりは、もっと性急で強迫めいて促すような感じ。

それは、たいていの場合は予感ともいえないほどささやかな、次の瞬間には消えてしまいそうな気配のようなもので、頭が追いかけてそれを捉える前に、そのときちょうど従事している味気ない些事(落ちたペンを拾うとか同じ話を繰り返す隣人に相槌を打つといったつまらないこと)のうちに巻き込まれ消えてしまう。それに、たとえ珍しくこの気配をはっきり捉えたときでも、さてどうしたものかと恥ずかしがって迷っているうちに逃してまうことが殆ど。

それでも、運がいいときは、相手がわたしを見つけ、後に考えればこう収まるより他ないというほどの最上のやりかたで付き合いをはじめるキッカケを作ってくれる。

あるいは別の運が味方をすると、運命という大げさな表現が似合いそうな機会がおとずれ、いつのまにか、知り合いたいという期待の発芽を共有感へと変えてくれる。

もちろんこうしたことが起きたからといってそれは未来を約束するものではなく、後々まで続く交際になるとも限らない。けれども、本当にまれにこんなことが起こり、思いもかけない幸福をもたらしてくれることもある。

わたしがおじさんと知り合ったのは、そういうまれなチャンスからだった。
目の前でせっせと食べているおじさんを見て、わたしは突然にわけもなく「この人と知り合わなければいけない」と感じた。しかも珍しくわたしにちょっとした勇気が芽生え、なんの用事もないのに話し掛けるという普段ならしり込みをしてしまうようなことをやってのけた。
と、書くととてつもなく大胆な行動のようだが、わたしの言ったことはこれだけ。「あなたの食べている美味しそうなそれは何?」(、、おいしいそうなものを食べていてくれてよかった!)

「エンチラーダだよ。君も食べなよ、ほら、すごくおいしいよ。」

もしかして物欲しげに映ったのかしらと心配になった。
 (これより少し前、わたしは道端で見知らぬ人に25ドルを寄付されたので、おそらくわたしは貧しいアジアンの少女と映るのだろうと自覚し始めていたのだ。)

「ありがとう、でもさっきおいしいものを食べたばかりでおなかがいっぱいなのよ。」

「そりゃよかった。でもこれも美味しいんだから、食べてごらんよ。」

それでわたしは、半分はそれが礼儀にかなっているから、半分は意固地に断わるなんてバカげているという気になって、おじさんのお皿に手を伸ばした。


この人は、他人にたいして垣根のない人なのか、それともわたしに垣根の必要を感じなかったのか、おそらくその両方だと思うが、これだけの会話を通じて、わたしはもう旧知の仲のような気がし、特別に話を続ける必要すら感じなかった。食べ終わると、おじさんは少しソワソワし、

「お願いがあるんだけど、五分だけ席を外すから、それまでこれを聴いていてくれる?」

ウォークマンを取り出すと外へ行ってしまった。テーブルにぽつんと残されたわたしは、仕方なく言われるままに流れてくる音楽に耳を傾けた。誰の曲か忘れたけど、そこに何か特別なメッセージがあるようにも思えなかった。なぜ見ず知らずの人にウォークマンを預け音楽を聞かせたのかさっぱりわからない。わたしは笑わずにいられなかった。

こうして交友が始まった。


おじさんのうちは、わたしのところから車で一時間も掛かるところにあった。
その一帯に住む殆どがアフリカン・アメリカン。家に鍵もかけずに出かけ、いつとはなく訪ねあい、みんなが知り合いのようだった。わたしがはじめて見るご近所づきあい。近所の女の人たちはわたしがそこに昔から住んでいるかのように接し、そのくせ2分後には名前はなんだっけ?と聞きそうでもあった。男の子たちはいつでも不機嫌そうにバスケをしている。

おじさんの家には、黒人のキリストの絵が飾ってあった。

それから、外れたフロント部分を太いチェーンでグルグル巻きにしたおじさんのビュイック。古くて大きくて、いかにもアメ車といった感じのその車がわたしは大好きだった。ある日、他の車にぶつけられ、フロントがぼろぼろになった。よれよれになったバンパーを太いチェーンでグルグル巻きつけてあるのを見たときは、痛々しさを通り越して豪快な印象をうけたくらいだ。

おじさんの行くところは、どこも黒人ばかり、アジア人はわたし一人のことも多かったが、それは全くどうでもいいことのようだったし、わたしも気にならなかったけど、それは、おじさんの招待があっておじさんがいたおかげでもある。(これが白人ばかりのところではなかなかそうはいかない、たとえ招待があっても自分がその場にいることにいたたまれなくなり、額からは冷や汗が流れるだろう。いったい何故なのかはっきりわからないが、しかし実際そうなのだ。)

おじさんは、給料日のたびにわたしを映画やコンサートに連れ出してくれたが、その一つがConcordの野外コンサート場。Luther VandrossBoyz II Men

芝生にごろんと寝転がり、お弁当を食べながら開演を待ち、、、そして待ち続けた。
始まったのは、予定より1時間半も遅れて。今にして思えば、よく暴動が起きなかったと思うのだが、みな芝生に寝そべって何か食べたり、踊ったり歩き回って退屈を堪えていた。Boyz II Menが出てきたときはいい加減疲れ果てたころだったが、しかしそれをチャラにするほど楽しかったし、それに続くLuther Vandrossときたら!「ルーファー!」とみんなが叫んだ。わたしの横でおじさんも「ルーター!」と叫んで、わたしはおじさんを見て楽しくなって笑い転げた。
わたしが感じたのは、コミュニティで音楽を楽しむという感じが強かったこと。これは初めての体験だった。(オークランドにThe Temptationsに行ったときは、コンサートホールは金ぴかに着飾ったアフリカ系のおじさんおばさんで溢れてた。遊園地のように写真屋が記念撮影コーナーを立て、カラフルにおめかした中年のカップルが写真を撮っていた。「こんにちは」「こんにちは」おめかしして知らない人同士挨拶をする。さぁ何もかも楽しむぞ、という雰囲気。お祭りではないが、しかしやはりそれは黒人のお祭りだった。)

セクシーな声で歌うルーターをみんな大好きだった。「ヘイ、ルーファー、聞かせてよ!」「いいぞ、ルーター!」周りには木と山しかないから、日が暮れるとたちまち満天の星になった。ステージでルーターはときどきおどけてみせ、「ルーファー!」とおじさんが叫び、わたしは嬉しくてずっとニコニコしていた。


おじさんを思い出すと、こうしたすべてのことから受けた印象、その温かさや、楽しさ、意味もなく可笑しくなるような気持ちが、地球のあんなところにあんな人と一緒にいたということ、歴史のその場面にいたということが、言葉による描写ではなくて、印象そのものがわたしの心を一瞬にして満たす。


知り合いなさい、知り合わなければいけないと思ったら。(オノ・ヨーコみたいな言い方だけど。)
五年を待たずいなくなってしまうかもしれないけれど、五年よりももっと先まで幸せな気持ちをもたらしてくれるかもしれない。

B、死んじゃったんだよね。なんで死んじゃったのさ。