関係の仕方がわからなかった生き物

小学校のとき学校には生き物がたくさんいた。教室にもインコといろんな熱帯魚と亀がいて、その他にもイレギュラーでザリガニや蛙や変な虫がいた。それから、わたしの後ろの男子は野蛮なことに蟻地獄とアリを筆箱にいれていた。
これらの生き物はだいたい飼い方の方針が決まっていた。だからそれを守りさえすればよい、ということになっていた、と思う。少なくてもわたしたちとしては、良心がとがめずにすんだ。「この生き物との関係は、これでいいのか?」という疑問を抱くことがなかったのだ。


でも、方針がわからなくて酷い惨事を招いたことがある。(以下、残酷物語です)
ある日、クラスメートがモリアオガエル(天然記念物だから捕まえてはいけないらしい)の卵を取ってきた。さっそくわたしたちは黒板の前に水の入ったバケツを置き、その黄色がかった泡のついた枝を黒板の端につるしておいた。ちなみに、モリアオガエルというのは池や小川を出て、木の枝に泡のような卵を産みつけ、卵からかえったおたまじゃくしはその下の池に落ちて暮らすというカエルです。教室でもやがて、卵からおたまじゃくしがかえり、バケツの中へポトッポトッと落ちていった。これが、生まれる瞬間なのだろうか!、、はじめのうちはみんなで「おおっ!」と感動していたけど、次の日くらいにはバケツを埋め尽くす数になって、みんなちょっと不安を覚えた。
でも、そんな不安をよそに、おたまじゃくしは元気よく泳ぎ、与えたエサも元気よくガツガツ食べ、そして何日かたつと、、、共食いが始まった。よく見ると、おっぽが欠けているのや、生えてきた足が片足欠けているのがいる。あわててエサの量を増やしたつもりだけれど殺戮は止まらず、身体半分ないまま泳いでいるやつに代わる代わる食いついていたり、頭しかない死体が浮かんでいたり、恐怖の共食い戦場となっていた。教室の黒板の前においていたので、わたしたちが授業を受けてる横に、小宇宙というか阿鼻地獄が存在していたわけで、わたしたちが暮らしている傍にあって、それでいて別世界であるような、バケツの中のオタマジャクシを思うととても不思議だった。あのしらがあそこであんな目にあってるのに、「それと関係なく」授業受けられるってどういうことだろうって子どもながらに感慨深かった。けれど、でもどうすればいいのかわからなかった、自分たちの役目がわからなかったのです。
そんな殺戮の吹き荒れるバケツであったけれど、それでも何匹も生き残り、やがて蛙になり始めた。しかしまだ悲劇は続く。わたしたちは、蛙になるってことがどういうことなのか理解できなかったのである。蛙になるってことは知っていたけれど、それがどういう変化をもたらし、どういう必要が生まれ、わたしたちが何をしなければならないのかがわからなかったのだ。なんて責任のない浅はかさ。ある日学校へつくと明らかに数が減っていた。共食いを生き残った蛙たちは、蛙になったのにまだバケツに入れられていたので、行き場なく、バケツから飛び出して、どこかへ消えていったのです。(わたしはなぜかそのへんの事情を知らないので、「消えていった」ということにしているけれど、でも学校のどこへ消えていくというのか、、、。あと、担任の先生はどうしていたのだろう、、覚えていない。)
こうして、蛙は、知識のない小学生に捕まり、捕まえておいて飼う方法、関係の仕方を見出せなかったわたしたちによって、何日もかけて全滅させられたのでした。


あと、教室にいたのに関係ない生き物といえば、
ある日、誰かが変な生き物を拾ってきた。30cmくらいの、細長い、少し黄色っぽい生き物で、犬が吐き出したのを拾ってきたのだと言う。、、寄生虫じゃん。、、、、、わたしたちは生き物を雑にしか扱えなかったけど、だけど生きてるからにはナントカしなきゃとは思う。そこで、透明の花瓶に水を入れて、そのなかにその細長い生物を入れておいた。道で拾われ、教室の後ろで、花瓶のなかで授業をみていた寄生虫。そばにいて、こんなに関係しているのに、関係ない生き物は他にはいまい。(ちなみにエサにミジンコを入れたけど、寄生虫的にそれはどうだったのだろう?)


わたしの教訓:
・うまくいかない関係は、早く解消した方がいい。そのためには、まず、「関係はうまく維持しなければならない」という考えに固執せず、「うまくいかない関係もある」ということを知らないとならない。

・「わかりあえる」という幻想に固執しないほうがいいこともある。ときには住み分けられる「ゆとり」を持つほうが大事かもしれん。