こんなとこにも昭和らしさ

夏の読書期間に話題のミステリー、三津田信三『首無の如き祟るもの』も読みました。
長編ホラー推理小説
舞台は昭和、山間の旧家。
横溝正史と「土着の奇習・信仰特集」がブレンドされたような、おどろおどろしさもあり、謎解きもあり、読み始めたら最後まで止まらず。一気に読み終えてしまいました。


で、ちょっと気になることがあり、、、といっても特に珍しいことでもないので、どうでもいいといえばどうでもいいんですけどね。



その前に、ご注意。
謎解きをバラすつもりはないのですが、今からわたしが書くことは、小説の最後の方(真相解明部分)に出てくることなので、もしもまだ読んでいなくて、知りたくない人は、これから先は読まないで下さい。





えっとですねー、
この小説は「昭和」が舞台で、語り手を含め登場人物全員が「昭和の人」なんですけど、ここにも「昭和らしさ」があると思ったんですよ。
つまり、

・同性愛をよからぬ「性癖」として扱う(ちなみに、こういう意味の「性癖」って誤った使い方らしいよ)


・愛人関係(同性愛の関係)にあった女二人を指して、一人がもう一人をその道に「誘い込んだ」と説明する


「同性愛に誘い込む」(そんなさ、誘うくらいでなびかれたら苦労ないでしょう。マジで、誘い込まれて喜ぶのなんで、わたしくらいだよ。誰か誘え!、、いや冗談です。) 
実際のところは、住み込みの教師という設定なので、同等の関係で誘い込むというより「師弟関係での誘い込み」と考えられるんですが、そこまでの描写はなく、ただ「ダレソレが同性愛になったのはダレカレに誘い込まれたから」とだけ書かれてるんです。だから余計気になったんです、「同性愛に引きづりこむ」っていう解釈は、「同性愛=麻薬的悪習/感染病」という考え方につながらん?(だって誘い込む悪者(同性愛者)さえいなければ、みんな健全な異性愛者ってことでしょ?)現代ならば、(こんな旧世界の思い込みではなく、)わたしたちが殆どの場合「異性愛=普通」言説に誘い込まれ、異性愛に引っ張り込まれてると前提にするとこですよね、まちがいなく。


というわけで、こんなところまで「昭和ならでは」の表現&解釈が見られて、にくい演出でした。