祭りの終わり

東京ボーイズのリーダーが亡くなったとのこと。いまも楽しい高座が思い出されます。雨が降ろうと風がふこうと東京ボーイズ!  ちなみに客席との謎掛け問答で、ジャニーズ系の名前が出てくると、誰であろうと「ライター」と解いてくれるんで(「マッチのあとに出てきた」)、時代遅れのわたしでも十分ついていけた。


・ツライのでテレビは見ないのですが、昨日友だちが「絶対に見ない方がいいよ」って言う番組があったので、つい、2ヶ月ぶりにコンセントを入れ、つけてしまいました、、貧乏な国の可哀想な人たちを見る番組みたい。経済力の違いを棚にあげて、経済力のある側の価値観で嘆いたり非難したり判断したりするのは見苦しいなぁと思いました。立派な人の話も台無しじゃん。5分しか見てませんが。何がしたかったんでしょう??「なぜ経済格差があるのか」ってことは問題にあがったんでしょうか、、



・お祭りといえば、大学のときの授業、文化人類学とか民俗学とか、そういう一般教養の授業だったと思うんですが、レポートは確か「祭り」がテーマだったんです。で、(レポートとしては全然ダメだと思うけど、)

わたしが書いたのは、地元の祭り(←ショボい)のときに、当時好きだった人が(いつも素敵だったけど)祭りに参加してるときにどんなに輝いていて、どんなに素敵だったかということを、祭りをめぐる決まり事と慣習という点からレポートする。という、世界が半径2メートルな内容。


でもねー、テキトーな思いつきのわりには、これって感慨深かったんです。
自分が夢中だったことなのに、それを、風習や社会役割(ジェンダーやライフサイクル)といった観点から「観察・考察」するなんて、まるで、離れた場所から冷めた目線で見てる「部外者」みたい。こうやって、わたしは「原住民」ではなく、「観察者」の位置に立ってしまったみたいで。あー、わたしあのころ「民俗」だったんだなぁなんてシミジミ。、だからって代わりに、何になったのかわからないけど…、、観察する側、、アハハ 原住民から啓蒙された学生へ!?!
もうイノセントな時代は終わったんだなぁ、、


と、こういうこともレポートしました。上手く書けてないと思うけど。文化人類学の、原住民と観察者の視線や立ち位置の問題にまで触れてて、偉くない?? (っていうかそんな問題ないっけ??「内部/外部」とか、、観察者(啓蒙された人)と被観察者(原住民)の力関係の問題とか、、、宗教や民俗の「本当の価値」は信仰してないとわからない、とか、信仰しててはわからないとか、、そういう話ないっけ?)