『かもめ食堂』

友だちが誉めていて、別の友だちも「ちょっといいのよ、見てみて」と言っていた『かもめ食堂
少し前にレンタルして見ました。


まあなんつーか、わたくし、シェールっちゅう生き神様を見るにもその代金にウジウジしてるくらいなので
この映画で起こるどの出来事よりも、「この人たち生活費や資金はどうしてるの?いつまでもつの?」ということが気になったわけですよ。経営資金や生活費が「ある」とか「ない」とかそういうことを含めて、お金についての言及がまーったくされていないので、最初は「お金大丈夫なの?」って心配してたけど、心配の必要すらないみたいで、いったいこのしらどういうご身分だっぺな?フィンランドって貨幣経済じゃない楽園なの?って。

ファンタジーなんだからいいでしょ!なんでしょうけどさ。心も懐も貧しくさもしいわたしには高度すぎてわかりません。


それから、かわいくて清潔感あって穏やか、というか、のんびりというか、わざとそうしてるんだし、それが評価されてるポイントの一つだと思いますが、しかしあれだ、激烈に退屈でした。(言っちゃった)

食堂のモットーも、おにぎりの良さやシナモンロールも、物語のなかに組み込まれて見えてくるのではなく登場人物によって口頭で説明されるだけで(しかもありふれてる)おしゃれ雑誌の域から出てないし(それが悪いとはいいませんが、ストーリー性ある映画なのに雑誌記事の見出しから受ける以上の印象がありません、わたしには)、「ガッチャマン歌える人に悪い人いませんから」とか「知ってました?ムーミンのなんちゃらかんちゃら…」とかって二回も言うほどのセリフかなぁ、、。「生活」とは関係ない無機質なことを話すような(orそういうことしか言えないような)ヨソヨソしさの混ざった微妙な関係なのかもしれないけどさー。わたしにはこのへんのセンスの良さを感じるセンスがないみたい、しかもそんなセンスなくて結構という心持ちです。

途中でもたいまさこが出てきたときは救われる思いでした。わたしってこんなにやっぱりもたいまさこが好きだったの?って。『それでもボクはやっていない』のもたいまさこの方がやっぱり好きだけど。


そんなわけですので、わたしには、おしゃれな写真でいっぱいのおしゃれ雑誌のようなファンタジーでした。はっきりいって読むところがない。見終わったいまとなっては、いいお話だったよね、と思えることは思えるけど。知らない人と知り合って何も起きない系(すごい括り方だけどセンスないんでごめんなさいよ)のなかではジャームシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がわたしは数兆倍好きです、何かがじっくり起きているので。


映画とは関係ないけど、10年以上前に道ばたで2回ほど片桐はいりを見かけたことがあるんですが、トップモデルみたいですっごくカッコよかったです。