『ウォーリー』

アダムとイブで思い出したんですが、Wall-Eという映画のことです。
ちょっと前に試写会で見たんですけど、よくありそうな話(孤独な人が真実の愛を見つける、とか、コンピュータによる人間支配、とか、果敢に立ち向かうヒーロー、地球に帰る、とか。SFへのオマージュ?)を盛り込んでるんだけど、すっごくかわいいし感動しちゃうのよ。泣いちゃった。ホント愛すべき映画だと思います。もう1回見たい!


だけど、なんでかなー!!! 
なんで、ウォーリーとイブって名前にしちゃったんだろ?!!悲しいかな、われわれは性別別の名前を聞いたら男女としか見れないんだからさー! ウォーリーは旧式だし最初から出てたからあれだけど、もう一台(一人?)が出てきて「イブ」と名乗ったときは、めっちゃガックリしましたよ。もしやこれも男女話に回収させるつもりなの?って。未来のロボットなのに男女差を持たせる必要ある?(人間ならともかく、、いや、29世紀の人間で、すでに体型もだいぶ変化してるのだし、人と人との接触がない暮らしをしてるんだから性差も変化してていい気がするけどね。)


いままで孤独に暮らしていて(あ、虫がいたね。ごめんね虫、勘定に入れなくて。)やっと誰かと「親密な関係」を築けたロボットたちを、どうして「男女の恋愛」に収めさせちゃうんだろう。どうしてここでも親密な関係が男女の恋愛関係でなきゃならんのでしょうか。同時に、男女であったら恋愛として消化してねってことにもなるし。いくらお手本がミュージカル映画だとしてもさ、せめて相手の名前をイブじゃなくてR2D2だとかZZTOP、いっそアダムとかにして異性愛至上主義を避けてくれてよかったのに。


たまたまウォーリーとイブであるならいいんです。けど、たまたまどころか、いーーーっつも成就する親密な関係って男女の恋愛ばっかりじゃんか。だから、もう少し考えてほしかったよ。他の可能性が切り捨てられることってことを考えて欲しかった。ホントがっかり。役割に性差を張り巡らせてなくて、そのへんはよかったのにさ、、。


こんなに心洗われる映画ですら、こんなに強固に男女分けされていて、男女の恋愛を最高の形として祭り上げてると思うと、「異性愛が自然な形なんです」とか意味もなく主張しちゃったりするよね。