屍鬼の「隠された」顔

友だちに「最近なんか面白い本読んだ?」と聞いたらドストエフスキーの「カラマーゾフ」だって言うんで、そういう意味じゃなかったのに…とたじろぎました。なんでブンガクを挙げられるとたじろぐのかしらね。不思議不思議。、、とはいえ、若い頃に有名どころ押さえといてよかったとも思います、勢いがないとムズカシイの読めないもん。



というわけで(?)わたしは、最近のトワイライトゾーン視聴と同時に、小野不由美の『屍鬼』を読みました。全5巻。面白くて、早くどうなるか知りたくてかなり飛ばし読みしました。寝る時間も惜しんで飛ばし読みました。そんな飛ばし読みのさなか、文庫では全五巻もあるなかの、ほんっっっとに些細な、2ページくらいの重箱の隅のスミのことを今日は書きます。


以下、いきなりネタバレしてる、かも。ご注意下さい。




この話は、とある村が舞台です。周囲から孤立した、土葬の習慣のある、かなり閉鎖的な村。
ある日この村に人のふりをした屍鬼が引越してきて、村人を次々襲い、ゾンビとして甦った者(意識は生前と同じ)を従えて、自分たちの村を作ろうとしている、、そういうお話です。


そもそもこの村は、、基本的に「村社会」として想像できそうな、、家(家族としての家/建物としての家)単位で連帯、疎外、孤立をして成り立つ社会として描かれています。


面白いことに、その村人が殺されたあと甦って形成し始めている「ゾンビ村」も、実は似たような「社会」なんですねー。


で、そのゾンビ村社会のなかで、一箇所だけ、ちょっと特異なところがあるんです。


それは文庫版の第四巻の448〜449ページ。


死んだのに甦ってしまった者は、人の生き血を吸って“生きる”しかないんですが、この吸血行為については(この2ページ以外は)趣味・嗜好とは関係なく描かれているし、甦った本人たちも関係なく捉えているように描かれています。小学生の女の子がおっさんの血を吸ったり、高校生の男子が他の男子の血を吸ったり、おばさんがじいさんを襲ったり、自分の親も襲う。襲う目的は第一に血を採ることで、ついでにエライ人にコイツを襲えと指名されて襲ったりしているんです。


それなのに、この2ページのなかだけ、柚木というおっさんが男の子ばかりを襲うため周りの仲間たちに叱られるんですが、ここだけ、襲うことが「セクシュアリティ」に絡まっているんです。

「子供は駄目よ。特に小さい子は駄目。何度言ったらわかるの?小さい子供が死ぬと、親を攻撃的にしてしまうのよ」
まったく、と佳枝は見下げ果てたように柚木を見た。
「前にもそれで罰を食らってるのに。−駄目ですよ、お嬢さん。この人のこれは病気なんだわ。何度叱っても、小さい男の子ばかり襲いたがるんですもの」
へえ、と柱の蔭で正雄は口を歪めた。かつてよく見知っていた男の隠された顔を見た思いがした。(中略)
「病気という言い方は正しいかもしれないわね」沙子は柚木を見て溜息をつく。「趣味や嗜好を云々する気はないけど、自分の不利益になることがわかっていてやめられないんじゃ、たしかに病気みたいなものだわ。…どうなの?どうしてもやめられないの?」
柚木は身を小さくして黙り込んでいる。

で、わたしが思ったのは、
1.なんでこの人だけ「趣味や嗜好」を云々され非難されるのさ!しかも「我慢できない嗜好」という病気・犯罪者扱い。(「幼児性愛」についてそれを話題にした本について以前拙く書きましたが、小説なんかでも(…柚木の場合だけ「襲う」ことに性的な意味を見出したりして)こうして色づけされて描かれているのだなぁ、と思った次第です。)
2.とはいえ、何の説明もないと「フツーの人=無色透明=異性愛者」とみなされるなかで、そういう「無色透明」な集まりに見える村のなかで、「『そうでない人』が存在している!」とわざわざ書いてくださってサンキュー、病気扱いなうえに、皮膚が爛れるほどめっちゃ叱られてるけどネ!!
…ちゅうわけですわ。