トラウマではなく知識を

(memo) ベネズエラで新しく始まったメディアネットワーク。
わたしはよく知らないのでロマンス化してしまう傾向があるのを認めます。
それに、何か、どこかに、希望を見出したいと思っているので。
、、、ベネズエラ、希望を見出させて。


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小学2年かな。そのときからトラウマになっていることがある。

多くの小学校の教科書に載っているから、トラウマになってるのはわたしだけではないと思う。

それは「かわいそうな象」


ときどき、ごくたまに、思いもよらないときに、「かわいそうな象」のストーリーというかイメージというか、そのときの感情的なもの全てが一気にフラッシュバックで戻ってきて、

それからしばらく、イヤーな感じになる。
錆びた鉄を舐めているような、ガラスを引っかく音にさらされているような、そんなイヤな感じになる。


戦争の話を残していくのは大事だと思う。
だけれど、わたしの知っている殆どの戦争の話では、(そしてそれは少ししかないのだけれど、)
歴史的なコンテキストには触れていない。
殆どの話では、戦争というものは平凡な市民に突然降りかかる悲劇です。急にどこからともなく降りかかってきた戦争がもたらす「普通の人」への悲劇。


こうした話はこれからも話され聞かれなければいけないと思う。
特に、政治家には、どっかに監禁してでも聞かせるべきだと思う。


ただ、自分で調べようとしない限り、襲ってきた悲劇として以外の戦争の話を聞かないというのはどういうことなんだろう。
歴史的な因果関係を知らないままで、いったい何の勉強になるだろう。


いったい、どうしてそのような状況になったのか、何が戦争をもたらしたのかを話すことなく、
象が餓死させられる様子を、一匹一匹がどんな様子で水を欲しがり、死の淵で芸をしてみせ、殺されていった様を、克明に、執拗に追う話を聞かせて、さらに
そのとき誰が「どう思ったか」なんてことを話させて、いったい何を学ばせようとしてるのか? 

少なくてもわたしは恐怖におののいていた。精神的苦痛と無力感でいっぱいで、毎日毎日国語の時間になると泣いていた。


「戦争はだめ」と思い知った、と言えるかもしれない、けれど、どうして戦争が起きてしまったのか、どうやってそれを問題化できるのかに関してはわからないまま、ただ苦しいということだけを知らされる。
これで培えるのは、無知な平和観、平和的無知、受動的平和主義がせいぜいじゃないか。そして、戦争が「いつのまにか」起こってしまうとしても、怯えるしかない。どこにも行動の可能性がないままになってしまう。


戦争は降って沸いてくるものじゃない。それは災害ではない。行為者なき悲劇じゃない。
歴史的な文脈のなかにあって、誰かが起こすもの、として捉えなければいけないと思う。
誰かが誰かに何かをした責任の問題。


戦争を止められなかったことを問題として学ばないで、つまり
無知な平和感/観だけで平和が築けると思うほど、わたしは楽観的ではない。


これでは、わたしたちの恐怖心を利用して武力/戦争を肯定させる動きに対して、あまりにも無力のままになってしまう。「戦争に巻き込まれたくなかったらコウスルしかないんだ」の「コウスル」が実は「戦争」だということに気付かないとしたら、わたしたちは一生呪われろ!
選択の枠は「やるか・やられるか」の二択ではないということ。二択しかないと思わせる言説こそ疑うべきだということ。


今起きている戦争も、これから起こるかもしれない戦争も(、、こう書くだけで手が震える)
降って湧くのではない。起こす人たちがいるからだ、とわたしは思う。だから、起こそうとする人たちを止めないといけない。恐怖心を煽る言説に対して、冷静に対処していかないといけない。貧困をなくすための選択を考えるべきなのに、いったい何をやってるんだろ。どうして憲法を変えようとしているわけ?絶対にそんなことさせちゃいかん!今度選挙があるときに、郵便局だけが話題じゃないって、目を光らせていよう。


わたしたちはあまりにも何も知らなすぎると思う。知ることを難しくしている陰謀でもあるんじゃないかとすら思う。
(どこの国でもこういう傾向はあると思うけれど。自分たちをイノセントにしてしまう言説。911のあとのアメリカのメディアが好んだ見出しは「なぜあの人たちはわたしたちを憎むの?」だった。)
(余談だが、先日、町を行く男の子のTシャツに大きく「No Jesus, No Peace」(「キリストなくして平和なし」というような意味)おそらくただの「Engrish」だと思うのだけれど、今の情勢を考えると、もしや彼は本気なのか、あるいはこれはなんらかのジョークなのではと思った。どちらにしても怖かった。)


というわけで、「トラウマではなく、知識を!」、、先週フラッシュバックのイヤな気持ちになって考えたスローガン。
わたしはわたしたち一人一人が平和に関して無力ではないと固く固く信じている。