無視する技術

ここで色々書いているからといって、いつもケチをつけて暮らしているわけではありません。
そんなことしてたらキリがなくて大変なうえに、口をきいてくれる人がいなくなってしまいます、、じゃなかった、、わたしは角がとれ穏やかでたいへん社会性に富んでいるのです。


そんなカドのないわたしではありますが、それでも「それは聞き捨てならん!」と思うようなことがごくまれにあります。「やいテメエいまのそれ、どんな不正義を強化してると思ってんだよ」というような発言です。わたしが人権保護法だったらまっさきに抹消し、発言者を監禁して縛りつけ機械で目を開かせ、まばたきもさせずに目薬を差しながら教育ビデオを見せたくなるようなことが。


だけれど、いくら正義漢であってもわたしが法になることなどありえません。そればかりか、たとえ意見を求められたとしても、異議を唱えることができない相手、反対を示すことができない場面も多くあります。
たとえば、わたしは過去のある時期、聞き捨てならないことばかり言う人に接していたことがあります。しかもその人はわたしにお給料を払う人でした。、、、これでは聞き捨てならないことを言われっぱなしだし、わたしも「丸く」ならざるをえませんよね。お金を持っている方が強いんですもの。

で、正義漢のわたしはどうしていたか。  聞き捨てならないことは全部聞き捨てました。
うなずきもせず首も振らず、一切反応しません。


そのかわり、「これは賛成」と思ったことにはヘッドバンギングかと思うほど賛同の意を示し、
その内容をわたしの口からも繰り返して それがいかにすばらしいか賞賛しまくりました。


自分で言うのもなんですが、これはかなり賢い教育法ですね。
最近知ったのですが、イルカの調教なんかでも誉めるときは誉め、イルカが失敗した場合は叱らずに無視するらしいです。そうするとイルカはグングン芸を覚えてくれるとか。(わたしもそんな風に接せられればグングンお利巧になっていくと思うのですが、ちっとも誰も誉めてくれません。そればかりか、どうも周囲の人の反応があまりない気がする。首を振るのは体力いるかもしれないけど軽くうなずくくらいはしてもいいんじゃないかしら、それなのに反応がないなんて、、、、きっとみんな体調が悪いんだよね。、、まさか、、、ね。)


こうしてわたしは雇い主の主張に積極的に(反対意見のときは積極的に消極的になって)働きかけ、そこでの経済が変わることを、ひそかに願っていたのです。
誉められると嬉しいだけでなく誉められた内容が奨励されるし、同時に、聞き捨てならないことを「聞き拾ったり」せず、捨ててしまったほうが注目しなくて済むから。注目するってことは、賛否は別としても、とにかくそのことは大事なんだっていう承認になってしまったりもするからです。つまり、それって全然大事じゃないというメッセージのほうが、物議を醸し出して印象を残してしまうよりも有効な場合があると。(とはいえ物議を醸した方がいい場合もたくさんありますよね、話さない=妥協になってしまうと大変まずい場合が。)


批判や異議ではなく、承認しない戦略「無視」はこのように有効だと思うのですが、しかしながら、ときどきこういう戦略すらとれないことがあります。
まわりがみんなウンウンとうなずいているなか、賛成できないからといって突然気を失うわけにいかないときや、相手が当たり前のように強く同意を求めているとき。あるいは一対一で会っているときに相手が気に入らないことを三時間話していたら、いくらなんでも三時間無視し続けるのは難しいかもしれません。どこかで「うん、そうだね」と言ってしまいそうです。
こんな風にどうしても妥協しなければならないことがあるものなのです。これはなかなかつらいことです。


そもそもなんでこんな話をしてるかと言うと、、、なんでだっけ?、、そうそう、選挙が始まったからなんです。
選挙の報道を見ていると候補者が町を歩いてそのへんの人と握手している場面がよくありますよね。あれを見てるとわたしは、ああこの人たちはこの候補者を支持してるんだな、、という印象を抱きます。というのも握手は相手を認めることを意味すると思うので。しかも、それがテレビで映ろうものなら奨励している人として見られること請け合いです。


だけれど、よく考えたら握手しているからといって支持しているのではなく、握手を拒めなかったからかもしれませんよね。面と向かって拒絶するって難しいですし、そんなことしたら、どこかの市長のように非難されるかもしれません。いや、市長でないわたしたちは別に非難されないでしょうけれど、でも「コミュニケーション能力に問題あり」と思われるでしょう。「あんたとなんか握手するもんか!」と言ったら自分でもその社会性のなさに後悔しそうです。

そんなわけなので、急に目の前に入ってこられて、そして承認の証の握手を求められると、拒絶も無視もなかなか難しいと思います。
難しいんです!!

何を隠そう、わたしは以前いっさい支持しない政治家と握手をしてしまったことがあるのです。それもニッコリ微笑んで。おえーーっ!わたしのバカバカ!!忘れもしない伊勢丹の前。

握手なんかしてしまったせいで、その政治家にはもちろん周辺にいた人にもわたしは支持者として映ってしまったことでしょう。こんな素敵な人も握手してるんだからこの政治家そんなに悪くないのねという印象を与えてしまったに違いありません。わたしはその政治家を奨励する勢力に加担してしまったことになるのです。おお、神様お許しください!!


と、こういうわけなので、
演説や選挙カーなら聞き捨てることができるけれど(「聞き捨ててます!」というパフォーマンスができるともっと良いのだけれど)、握手や挨拶に対しては拒絶や無視はなかなか難しい。


そこで、支持しない人との握手対策を考えてみたのですが、

相手が手を差し伸べてきたら、チョキを出して勝った!と拍手して喜ぶ。ジャンケンをして避けたあと拍手が続くので手がなかなかあきません。ちょっとお茶目風に握手回避できそうですね。


事前に用意できる場合は折り紙で意味のわからないものを作っておき、手を差し伸べられたらそれを渡す。これはモノを握らせることになるので、次の人への握手にも響きますね。
折り紙なので非難にもならず、相手を傷つけることもないでしょう。


ものすっごくイヤ〜な匂いのアロマを手にべったりつけておく。
向こうが勝手に握手してきたらアロマつきの手だったんですもの、仕方ありませんよね。アロマだもの。
で、握手をしたばかりにそのイヤな匂いが移ってしまい、行く先々でなんとなくイヤな人という印象を残してしまうでしょう。そもそも、そんな臭いアロマをべったりつけていたら握手は求められないでしょうけど。それでも握手を求めてきた果敢な候補者には逆に好感を抱いたりして、匂いをなすりつけることに後悔するかもしれません。


、、どうやら握手の予感がしたら、その場を立ち去るのが一番良さそうですね。
その予感がなかなか難しかったりしますが。今のところこれくらいしか対策が立てられません。
無視する技術をもっと磨かないといけませんね。


なによりも、あの日あのときわたしが握手してしまったのは気がついたら無視できない距離にいてしまったからなんです!わたしの意志じゃないんです!
(それにしても、テレビは勝手にああいう場面映してるのかしら、、握手している人の同意は得てるの? わたしだったら泣くほどイヤですけど。どんな場面であっても勝手に映されたくない。)