「大砂塵」

spongey2005-10-15

だいぶ前に友人に勧められたニコラス・レイの「大砂塵」、やっと見ましたよ!


原題は「ジョニー・ギター」なので男中心のような響きですが、実はこの映画、男は女、女が男なのです。、、というと語弊がありますが、この西部劇で権力を握り、物事を動かしている(=つまり「『男』の位置」にいる」)のは、ジョーン・クロフォードと彼女に敵対するエマという女二人。男たちはその周りで「…どうしてオレを愛してくれないのさ」といじらしくイジイジしています(=つまり、相手によって自分の立場が規定される「『女』の位置」にいる)
、、でしょ?


クロフォードは酒場の女経営者で、これから鉄道経営にも乗り出し町を開拓しようとしています。このクロフォードは登場からしてカッコいい。ジョニー・ギター(昔の恋人)が酒場でご飯を食べてると、階上からズボン姿でさっそうと現れ、使用人に向かってランプをつけろだの、ルーレットを回せなどさっそうと命令していきます。すてき。タカラヅカを彷彿させるキャンプさです。(後に白いドレスでピアノを弾いて現れもするのですが、そのドレスが似合わなくて、これまたなんだかキャンプです。)


で、ここに、町の男たちをぞろぞろ従えて、敵対者のエマが喧嘩を売りに登場します。
(ちなみに、町の保守的な人たちによる酒場一味への弾圧はマッカーシイズムの比喩だとか。)
このエマがまた、、トムボーイなんですな!


そして、物語は二人の女の決闘へと進んでいくのです。



いま「エスクワイア」で知ったのですが、どうやらこうした女中心の物語展開はクロフォードの意地でもあったようで
もともと用意された脚本が気に入らないクロフォードは、撮影をボイコットして、別の脚本家に脚本の書き直しを要求したらしい。

"彼女(クロフォード)がヨーダン(脚本家)に要請したこ とは基本的にはただひとつ、「今の脚本では私は画面のはしで“いじいじ”しているだけ だが、それはスターリング・ヘイドン(ジョニー)にやらせて、私にはマーセデス・マッケンブリッジ(エマ) を撃ち殺させてもらいたい」というものだった。かくしてそのビザレスクな趣向で映画史 に残る、クライマックスの女同士の決闘シチュエーションが生み出された。"

のだそうだ。


撃ち殺させてもらいたいだなんて。


す・て・き。