電車での読書

昨日の中絶に関して、少し知識が増えました。「からだはステキ3 セックスがこわい:からだは変わる?」(小野のん子著)というティーンエイジャー向けの本を読んだのですが(倍も年をとっているのに何故かティーン向けを読んだのですが、情報もわかりやすくて筆者の気遣いもわかりやすかったです。児童向けやティーン向けに情報提供する本が結構あるんですね。)日本の中絶は、例えばアメリカやスウェーデンなどとは違って「女性の人権を大切に」したものではなく、「理由がないとゆるされない」ものなのですね。
つまり「権利」が謳われているものではない、と。 いやはや、、。わたしは中絶は自分の身体を自分で管理する権利であり手段であるべきだと思います。だからそういう法律になって欲しい。
この本では「自分が生みたくない、という理由を第一に中絶できるようにがんばっている女性の政治家がふえている」と書かれていますが、そうだといいのでけれど、、でも女の政治家だけ? 男の政治家にもいるだろうし、そういう立派な人は支持したいと思います。


ところで、突然話は変わります。わたしはいつも電車のなかで本を読んでいるのですが、今日ちょうどエッチな描写のところに行き着いてしまいました。ひやっしました。別に「Housewives at Play」を読んでいるんではなく、絵はなくて字がいっぱいの小説なのですが、その数ページはチラっと見るだけでエッチな感じが漂っています。
意識しちゃって大変です。隣の人に見られたかしら?読み始めたばかりなのに、読むのをやめたら不自然かしら?、、急にこのエッチなページだけ飛ばしたら、意識してるってことがバレて恥ずかしいし、、。表紙を見えるようにして、わたしが読んでるのはエロ小説じゃなくて「文学」だって知らせたい(、、すいません、権威主義で。)
って、誰も見てないし気にしてないよ!っつうことでしょうけれど、これだけでわたしは弱りました。


そして思いました、
電車のなかでスポーツ新聞のイヤラシイところを堂々と見ているおっさんたち、あの人たちは何なんだろうと。人目を気にしないほどのずうずうしさと、人前でいやらしいものを見ることが許される立場にいることとがブレンドされた結果なのだと思っていましたが、、、
もしかしたら、わたしよりも「解放された」急進的な人たちで、公共の場での暗黙の取り締まりを超越してるんだろうか?そんな気さえしてきました。
、、、いやぁ、、やっぱしそう考えるのは無理があるなぁ 、


わたしはおっさんがそういうのを読んでいると不快感を覚えるのですが、だけど、それをしてるのがおねえちゃんだったりしたら、嫌いじゃないかもしれない、、なんでだろ。しかも、わたし自身はたとえ「ブンガク」であっても電車でエッチな部分を読むことができない。、なんだろ。このへんを司っているイデオロギーにわたしはがんじがらめなのかもしれない。


(今にして考えると、自分が周りからどう思われるかばかりを気にしていて、わたしのエッチな読書を目にすることで隣の人がどんな気持ちになるかということは考えませんでした。これまたなんでかしら?わたしが女という位置にいるからかしら。それとも、勝手に恥ずかしいと思ってるだけで、オレ様が見てるのは「良質なエッチ」だから実際は問題ないと思ってたのかしらん。、、自分中心すぎるのかし。もしもイヤだったらごめんね、隣に座ってた人。)