食肉消費を離れられるかな

spongey2005-11-04

子供の頃、「ベジタリアン」という言葉を知ったときに「わたしベジタリアンになる!」と決意し(一日で挫折し)ました。

一時期ベジタリアンに囲まれていたときは、「わたしだってできればベジタリアンになりたいやい!(だけど根性ないからそのための努力はできないの、、)」と思っていたのですが、


それと同時に、食べ物を「選ぶ」ということ(そういう意識をもつだけでなく実際に実行できるということ)は、文化的社会的背景だけでなく、経済状況にもよる「特権」と考えるのですが(だからとりあえず賢く行使すべきだと思いますが)、これはとりあえずおいといて。


まがりなりにもベジタリアンになろうと思い、ベジタリアンに囲まれていたとはいえ、わたしの認識といえば、「お肉は(残虐だろうけれど、知りたくない)」程度でした。(だからこそ肉食だったのかもしれませんが。)


今年に入ってルース・オゼキの小説「イヤー・オブ・ミート」を読み、アメリカ牛に関する知識を得たのですが、小説のフィクション分を勝手に想像して割り引いたとしても、成長ホルモン剤抗生物質などなど、やっぱり良からぬものなんだろうよ、という気がしました。ま、フィクションの知識なので、いくら割り引いたり想像しなおしてもなんですが。この小説はとても面白いのですが、善悪対立が少々型にはまってるので、食肉産業に関わっている人が単純な悪人すぎる気がします。あ、そういえば、これって「悪魔のいけにえ」にこそ言えるかも、、まるで屠殺に関わってるからあんなになっちゃったみたいだもん、、もしや食肉産業反対映画なのかしらん!


というわけで、、いまだにわたしの知識は、「お肉は薬漬けらしい(そして虐待だろうけれど、それは知りたくない)」程度です。
だけれど、もうそんなことで個人的には悩まなくて良さそう。うふふ。

ブッシュ政権の言いなりにアメリカ肉の輸入を再開するそうですが、「いったいどんなお肉が?」という問題は、ラッキーなことに今のわたくし個人の食生活にはあまり関係ない話なのです(「わたし個人の食生活には」と強調したいと思います。産業の問題に目をつぶりたいわけではないので。)といっても、政治家や官僚やその他のお金持ちのように高級和牛を食べられる、というわけではありません。それどころか、もともと牛肉を買うことは殆どありませんでした、高いから。(ところで、アメリカ牛の輸入に賛成する政治家は、その肉を食べるわけじゃないんですよね。戦争に賛成する政治家は戦争には行かないし。)


なんでお肉が関係ないかというと、実はわたし、ここのところ川島四郎センセイに傾倒していて、お肉を食べる必要を感じないのです。傾倒しているのでつい「川島先生」と書いてしまうのですが、古本屋で目に入り何気なく手にした『食べものさん、ありがとう』を読んだのは半年ほど前、それから次に見つけた『続・食べものさん、、』を経て、『続々・食べものさん…』に至ったいまはすっかり川島先生ファンになり、今やわたしのブームです。川島センセイは食べものと身体機能との関係解明に情熱を傾けていらして、その情熱っぷりにはファンにならずにいられません。例えば、、例えば、、う〜ん、忘れてしまいました。とにかく、菜食主義ではないのですが、肉食を必要とは考えてらっしゃいません。そして難しいこともいいません。というわけで、簡単に傾倒でき(?)、うちには煮干もコンブも木の実もあります。(コーヒーに粉ミルクとか、、わたしには賛成しかねることもあるのですが。)


だから、このブームが続く限り、アメリカ肉が輸入されても、それがあたしの身体や心にどんなに悪いかを想像して疲労困憊する必要がありません。お肉全般に関して食べる機会がますます減るだろうし。

「決断」ではなくただの「ブーム」なので、明日にもすたれるかもしれませんが。


(それから食肉産業の下請けにいる人々が経済的なダメージを受けずに産業が変わって欲しい。だって「悪魔のいけにえ」みたいな人が働いてるんじゃないでしょ?)