缶詰

わたしは、料理が好きじゃない上に上手でもなくレパートリーも少ないという三重苦を背負っていて、そのうえ一人では外食ができず、しかもコンビニ弁当もインスタントも全く食べたくないというわがままさなので、結構苦労して食生活を営んでいて、「どうしてテイクアウトできるレストランがないんだろう、しかも安く!」と天を仰ぐばかりでした。いま、そんなわたしの生活を少し楽にしているものがあります。それは魚の缶詰、そしてこれは川島先生のおかげなのです。川島センセイの一日の食事を見ると、日中は木の実やコンブ、もらいもののビスケットを食べるだけ、一日の終わりのディナーでやっと食事らしいものを召し上がってる。しかもその食事らしい食事とは、茹でた青野菜とごはんとサンマの缶詰なのです。

魚の缶詰。


わたしにとって、缶詰、レトルト、インスタント食品はなんとなく同じ位置づけのものでした。インスタントは年に一回食べるか食べないか。レトルト食品は年に2回カレーを食べる程度。缶詰も数えるほど、、、トマト缶と、、あとは頂いたサンドウィッチに入っているシーチキンと、、、いつぞや動物虐待フォアグラ入りパテを食べたときくらい。果物の缶詰は好きではないし。要するに、飲食店で知らぬうちに食べている場合を除いて、これらの食品は自分では殆ど食べないものだったのです。
そんな認識の低さ(?)ですから、魚の缶詰については漠然と「マンガなどで酔っ払いが酒のつまみにするもの」あるいは「非常袋に入ってるもの」と分類していたので、、川島センセイのこの献立には驚きました。
缶詰がメインディッシュでいいんだろうか、と。


そして、今のところの結論、、、缶詰がメインでもいい。食べてみるとこれがなかなかご飯(もちろん川島センセイに倣って麦とお米をまぜたもの)に合うのです。しかも、さんまやいわし、さばなどの缶詰は骨ごと食べられるのでカルシウムは多いし、缶詰だからといってたんぱく質も失われない。らしいのです。
それに一缶105円程度なのです。


というわけで、缶詰、レトルト、インスタントは同じ位置づけにはあらず。川島先生もインスタントは悪い栄養リンが多いと注意しています。篭城していた日本赤軍の人たちが食べていたのはインスタントだらけだったんだって、で、川島センセイはこれが間接的に関係してると考えてるみたい。レトルトはどうなんかし、、川島センセイの本はレトルト以前のものらしく言及されていません。わたしが食べていたレトルト食品といえば、中村屋のチキンカレーくらいだったのですが、結構レトルト味でしたね。
、、そういえば、どれくらい自慢になるかわからないけど、わたし中村屋の社食のカレーを食べたことがあります。中村屋を裏で支える裏のカレー。これぞ真の中村屋のカレーかもしれません、、
、、と、そういえば、確か10年くらい前に、確か紀伊国屋ホールで、確か中村ツネを描いたお芝居を見たのですが、、新宿のあの辺を舞台に、なにもない野原だったあの辺りに中村屋紀伊国屋ができ、商業地へと変わっていく時代を扱っていてなかなか面白かったような、、見終わって外に出ると、舞台で見ていた時代から一気にあの華やかな町にタイムスリップしたようで、今あるこの町にも歴史があるんだなあと思うと今までとは違った親しみある景色に見えました。何かの問題提議の芝居ではなく中村ツネのことでしたけどね。
、、というわけで、グローバルに色々なところの色々な芝居が見れるのもいいけれど、地域色の強い、地域政治色の強い、地域密着の芝居もいいんじゃないかな〜と思います。自分のいる場所をあらためて見直すきっかけになると思う。「文化」にとんと疎いのでわたしが知らないだけで、やってるのかもしれませんけど、。各地域で、ストレートにその地域の問題を提議する芝居、今さらですがthink globally, act locallyで。、、、エエそうですよ、わたしプロレタリア芸術好きですよワルウゴザイマシタ。もちろん缶詰といえば蟹工船がまっさきに思い浮かびますよ。
、、とウダウダ考えつつ、青菜を茹でつつ、サンマの缶詰を開ける秋の一日であります。

(その後、、、缶詰もすぐに飽き、、いまは全然食べてません。また食べると新鮮かもしれない。)