どういうことなんだろう

ウソ新聞TheOnionにはときどき面白いことが載ってるんだけれど、今回はこれにウケてしまった。KFCに鳥インフルエンザ対策ソース「タミフルベキュー」が登場。ちょっと趣味が悪いけど、でもいい点をついてると思う。ある問題が別の問題で上塗りされているかもって注意するイミで。



生活保護」を国から地方に移すという方向で進んでいるらしい。不勉強なので詳細は知らないのだけれど、「自立を支援する」という表現が使われるといつもいつも疑問を抱く。「自立を支援する」のなら、雇用を増やすこと、最低賃金をあげること、そして賃金格差を縮めることが重要じゃないかとわたしは思う。「頑張った人が頑張った分だけ報われる社会」を平蔵が謳ってた気がするけれど、あのねえ、最低賃金で働いている人が頑張ってないってどの面下げていうわけ?お父上がお金持ちのご家庭で育ったお坊ちゃんと、生活保護を受けざるをえない家庭で育った子供と、どちらが頑張ってるかってどうやって決めるわけ?と思うんだけれど、でもちゃーんと決めるわけだ。学歴やら習い事やら人脈を通じてね。資本があればどんなアホでもそれなりの文化資本を持つチャンスがあるわけで、そうなれば高給の仕事につくチャンスにつながる。だけれど資本もなく文化資本へのアクセスもなければ、高給取りになるチャンスは少なく、そして竹中お坊ちゃま(←見た目で判断)には「頑張ってない人」といわれるのであろう。こうやって貧乏を貧乏人のせいにする。わたしはそういうのがとっても頭に来る!!賃金格差を減らせば最低賃金も上げられるんじゃないの?何がそれを阻んでいるの?理解できないから、だれか教えてくれないかしら?まさかただただ貪欲な守銭奴が経済を牛耳ってるからってわけじゃなく、頭のいいお坊ちゃまがたが考えなさるんだから深刻な理由があるわけでしょ?それって何なの?
 

もう一つ

いったいどうしてだろうと思う。わたしには不思議でならないから、ずっと考えてみた。戦争だからといって、どんな人が虐殺や虐待をするのだろうって。わたしは心が広い人間ではないのだけれど、それでもまさか自分が6歳の女の子を射殺することはないと思う、怯える子を殴ったうえに17発も発砲するなんてありえない。どんな状況であれ自分が化学兵器を使用するなんてありえない。そう思いたい。
だけど、実際はそうするかもしれない。わたしがその兵士であったら、もしかしたら発砲するかもしれない。

エス」という映画は、実験のために適当に集められた人々が、囚人グループと看守グループとに分けられ、その役割を演じているうちにだんだんエスカレートし、お互いに憎悪を抱くようになり暴力へ発展する、、という話だったと思う。これは実際に行われた実験をもとにドラマチックに作られたフィクションではある。もう全然覚えてないのだけれど、この映画の上映に伴って、監督とそれから実際にこの実験を行った研究者のお話があったのだけれど、客席からのコメントはどれも「映画としてどうか」ってことは忘れ果てて、「こんな恐ろしいことが!!」という、実験そのものに対するショックの表明だった。(わたしとしては映画としてどうなの???って思ったんだけれど、それはさておき。)

でも、ようく考えてみると、子供の頃ドロケイなんかやってると、なんとなく敵対グループに対してゲーム以上の敵意を抱いていたような、、。そういうのってどんどんエスカレートしていったり、無感覚になっていくのかもしれない。

ファルージャの虐殺写真を見ると、いったいどんな人があんなことができるのだろうと思う。囚人や捕虜虐待の写真を見ると、どういう人間がこんなことをしているのだろうと理解できない。
でももしかしたらそれはわたしかもしれないのだ。どの虐殺も、悪魔ではなくてわたしのような人間が行っているのだと。虐殺・虐待をしている人が被害者だと言いたいのではないし、判断する能力も責任もないといいたいのではない、けれども、状況が加害者を作り出しているとは思う。だから状況を制御する必要があるのだと思う。