座る順番

電車に乗っているときに、ちょっと気になることがあります。それは、座席が人数分空いていないときにどうするかってこと。わたしは、同年代の二人連れやグループなら、お互いに「どうぞ座って」を言い合いつつも遠慮して全員立ったままなのが理想だと思っている面倒な人間なので、見ず知らずの人でも誰が座るのかということを気にしてしまいます。
いや、いま書きながら気づいたのですが、、、誰が座るかではなく、「ヒールの人が座れるか」を気にしています。

ヒールの一番高い人が座ってるのなら納得です。だってヒールってとても疲れるし足腰に負担をかけるんですもの。映画にヒールを履いている女と平靴の男とか逃げているシーンがあると(そして平靴の男がヒールの女を先導したりしてると)、「やい平靴、おまえもヒール履いて走ってみろ!」とクヤシクなります。


わたしもモデルみたいな格好は好きなので(買えないしできないだけで)、モデルみたいな格好して暮らしたい!と思っています。だからヒールを履くのは「好み」だと思いますし、自己決定で行っていることだと思います。が、しっかし、そういう「好み」になるように仕向ける言説があることを無視できません。ヒールが疲れるってことには触れず、ヒールを履くと女としていかにすばらしいか、美しいかってことばかり言われている。
でも本当はヒールはとっても疲れるから履きたくないし、履いてるときには座りたいんです、とわたしは思います。だからわたしドックマーチンばかり履いています。座席が一つしか空いてなければイヤイヤ、ヒールの人に譲りますよ。
というわけで座席が人数分空いてないときには、同年代ならヒールの人が座って欲しい。高い方のヒール、そして細いヒールの方を優先して欲しい。わたしの心労を軽減するためにも願ってやみません。

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象徴[名](スル)抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表すこと。また、その表現に用いられたもの。シンボル。「平和の―」「現代を―する出来事」

たとえば国や国民統合を象徴するものがあるとしたら、それは「国」「国民統合」という抽象的な思想や観念、事物を理解しやすい形であらわしたものっつうわけですよね。で、例えばその「理解しやすい形」に必ず性別を要求するとしたら、性別はその抽象的な「国」「国民統合」を表す要素だということになる、としたら、例えば「男」でなきゃダメっつう場合は、それが表している抽象的な「国」や「国民統合」は実は男が抽象化されたものでもあるってこと、つまり「(男の)国」「(男の)国民の統合」ということなのでしょうか?男支配を象徴するっつうことなのでしょうか??と、ふと疑問に思いました。

わたしとしては、別に石でもいいですけどね。生きてないといけないなら犬でもいいし。長生きした方がいいならガラパゴス島の亀でも。実体がない存在を人にやらせるってどうかと思うし。

その子供が、頭脳警察だとか、クラッシュ、そしてLe Tigreのファンになって、やがて立派なロッカーになりますように。