新しいきょうだい

NYタイムズに面白い記事
Hello, I'm Your Sister. Our Father Is Donor 150.

精子バンクを通じて精子を買って出産する人はたくさんいる。その精子購入者たちのなかには、偶然同じ提供者の精子を買っている人たちもいる。つまり、全く知らない、別のうちで生まれた子供にも、精子提供者が共通する「きょうだい」がいることがある。精子バンクでは、買われた精子によって妊娠したか否かまでは追跡はしていないので、実際には見知らぬきょうだいが1人や2人でなく、何十人もいる場合もあるという。こうした同じ精子提供者による「兄弟姉妹」を引き合わせるウェブサイトも三年前に作られ、利用者も増えていると言う。この記事はそうしたきょうだいを接点に集まる家族?親戚?に取材している。

例えば、ある16歳と15才の姉妹は、サイトを利用してお互いの存在を知り、それからひんぱんにメールや電話で話し、今度の休日に初めて会うのだと言う。「わたしたちは姉妹なのよって言われて、はじめはおかしな感じだったけど、とってもステキだわ。」他にも12歳と10歳の姉妹、それから15才の男の子は「これは違う母親のおれの姉さんで、こっちはまた違う母親のおれの兄で、こっちはまた別の母親の妹」と歌って人に紹介するんだと。(なんで歌うん?)

記事の目的は、こうしたきょうだいたちに取材し、こういう人たちがいるという承認と、そしてこのきょうだいたちはお互いの存在を大事にして楽しんでいる様子だ、ということを紹介することらしい。で、ときどき「血のつながり」ってなんだろう?という疑問がちらりと読めるのだが、そのことには多くは触れずに、旧来の「家族」や「血のつながり」とは別の、血のつながりをベースにしながらそれを超えた、別の枠組での絆がうまれているといった内容。


家父長制の下では、異母きょうだいといえば、父との関係、家督相続や遺産相続が問題になったりするけれど、そしてわたしは中上健次も好きだけど、一方で、このきょうだいたちは、確執のもとである?「父親」がなく、親同士に利害関係もなさそう(この記事では)。それでも他人じゃないっつう前提から始まるのは面白い。実際は初めて会うのに「家族の再会」といってみたり。


余談だが、血を飲んで兄弟になる儀式ってのは実在して、何百人もの兄弟がいる人もいるということを最近教えてもらった。
「きょうだい」という言葉の示す位置や象徴性に何があるんではなかろうか。



 
♪every sperm is sacred
本文とは一切関係ありません。