金にモノを言わせる

最近、日本を舞台にしたハリウッド映画が増えているそうですが、あれって、ガイジンさんが日本ブンカのスバラシさに惚れ込んだっつうよりも、日本の消費力に惚れこんだらしいですね。例のサムライ映画は、日本だけで制作費を上回る売れ行きだったとか。経営という点から見ると、「日本人」という消費者層をハリウッドが捉えたせいで、ハリウッド視線で「日本の文化」を商品化して(日本をターゲットにしつつ)世界中に紹介してくれるというわけです。ハリウッドのグローバル化でしょうか。例のゲイシャの映画は、日本だけでなく中国や香港もターゲットにしているので、さらにグローバル化ですね。(どうでもいいですけど、わたしはミシェル・ヨウが大好き、だけど、映画は全く見る気がしないので困ります。)


カルバン・クラインが有名かもしれませんが、ファッションやアルコール関係では特に、ストレートにもアピールしつつ、ゲイをターゲットにするダブル・マーケティングも盛んらしいですね。これもゲイが消費者層として認識されているからでしょう。
(認識されるほど見えるようになったのは、すなわち同時に消費者層として再形成されてもいるわけですが、、しかもストレートに嫌われない程度にっつうディプレッシングな注釈つきで。)


消費社会のなかでは、こんなふうにある種の人々が、ある種のグループとして、市場を介して形成され可視化され言説化されたりもするわけです。経済力と関係しているので、いわゆるゲイ資本は強いし、(白人フェスティバルになりがちだし、)レズビアントランスジェンダーは少なくなりがちですけどね。(相変わらず日本はサムライやゲイシャだし。)


それから、「女性向け」のコンビニ、年齢層別の雑誌などなど、いろんな消費者層があるし、いろんな消費者層が開拓されてもいる。消費活動はなくならないばかりかどんどん拡大していき、一方で消費者層は細分化されていく。
そう考えると、例えば、反自由貿易・反資本主義消費者という少し矛盾した消費者層の形成もありうるのではないか、と思えるのです。、、反資本主義も包み込んでしまうなんて、恐るべし資本主義。ですが、内側から現状とは別のモノに徐々に変質するかもしれない。(でも、それ以前に、、反グローバル化の人なんて、貧乏そうで消費者層にはなかなかなれなそうですね。、、手を結べるのは、ナチュラル志向の消費者でしょうか。)


こんなことを書くのは前日のブログを書きながら、消費のことをちょっと考えたもので、、「金にモノを言わせる」って、こういうことなのかもなって。こうなると、やはり貧乏ったれは見えないままだし発言権なしですね。それに金がモノを「言ってしまう」こともあるわけだし。


実はわたし、世界のみんなが平等にいろんなものにアクセスでき、平等に食べものが手に入り、暖かくてお腹がいっぱいで楽しく暮らせる世の中を、たくっさんのいろんなものが配給される世の中を夢見ているのですが、

「革命」がみえない現在、どうすればそんな世界へ向かうことができるのか、そのためにわたしは何ができるのかといつも悩んでいます。
こんなに壮大な悩みを抱えているうえに、自分の生活もままらないという悩みを抱えているので、とっても大変なんですよ。世界がよくならないなら、せめてわたしだけでも金持ちになりたいんですけどね。

というわけで、ベネズエラボリビアに希望を見たい。