受験

受験シーズンですね。…なんて知ったかぶっても、あまり関係ないのでそれがどういうことなのかわかりません。というか、わたしは自分に関係あったときもわかりませんでした。、、世の人はそういうのがいつごろわかるのでしょうか?

わたしはのんびりとした土地でグウタラと育ったのですが、高校受験の存在を知ったのは中学三年です。ある日、いつものように友だちとふざけていたら、一人がふと「もうすぐ受験だからドウノコウノ」と言い出しました。残りのみんなは意味がわかりません。ようやく「…そういえば、高校ってどうやって決まるの?(←「決める」ではなく「決まる」という聞き方からして主体性がない)」ということになって、学区じゃないか?と議論になりました。最初に受験と言い出した人も、多勢に無勢。結局、入試がある場合もあるけれど学区だろう、ということに落ち着きました。…が、しかし、「落ち着きました」といっても、わたしたちが決めるわけじゃないので、本当はどうなんだろう?という疑問が残ります、
で、さっそく「せんせ〜い、高校ってどうやって決まるの?受験あるの?」と聞いて、先生をビックリさせたわけですけれど、今思えば、義務教育とそうでない状態の違いがわたしにはわからなかったし、そこに「選択」が入るということも知らなかったし、それがどういう意味をもつ選択なのかってこともわからなかったのです。


そんなワカランチンぷりでしたが、高校を受験することにしました。で、あれやこれやで試験日には友人3人と行ったのですが、実はこのときまで誰一人も高校へ行ったことがありません。一人が「だいたいあっちの方」と知った口をきくので、それを信じて出かけたのです。歩いて40分くらいだろうということで、ちょっと大目に見積もって早めに出ました。これが本当に大事でした。(何かあるときは早めに行動!忘れてたのでメモっておこう。)途中で道が二手に別れ、当然わたしたちは誤った道を歩んでいったのです(今思えばまるで未来を予見するような出来事でした)。山の方にあるという噂を信じて、坂が急な方を選らんだのが間違えでした。そろそろ着くだろうという時間になってもたどり着かない。他に人も歩いていません。これはもしや、、、と思ったところにやっとおばちゃんが通りかかり、道を聞き、「こっちじゃないよ」と言われ、今来た道を戻り、試験開始ギリギリに無事到着したのでした。こんなことも、多くの人は問題なくできることでしょう。試験がどういうものかがわかれば、いや、せめて試験日の手順を想像できれば、こんな行き当たりばったりにはしなかったでしょう。でもわからなかった。


こんな調子で高校へ行き、こんな調子で大学受験もしました。そういうときの「選択」がいったいどういうものかわからないまま、ただ受験したり学校へいったりしていたのです。しかも、幸か不幸か、受験そのものでは苦労しなかったので(というか、苦労するような受験を選ぶほど理解をしていなかったので)、別に意味を見出す必要も感じなかったのです。それが自分の「将来」に繋がっているなんて想像もつきませんでした。


わたしは将来というものの想像の仕方がわからなかった。「将来何をしたいか」という観点だけから教育が行われるっていうのもどうかと思うのですが、少なくてもわたしは「何の職業に?(そしてそのために何をするべきか)」なんていう具体的な未来の描き方は知りませんでした。知っていたら違っていたかもしれません。
、、これからの学校は職業を視野に入れていくでしょう、、。大学も職業訓練所化が進むのですよね。仕事の選択が早期にされて、その分いろいろな職業が「専門」化されるかもしれません((知識の商品化をともなった)資格ブームにもなりそうです)。それはそれで面白いこともあると思いますが、、、一度選んだら変えられないし、再就職もますます困難にならないだろうか、、、ということは、「一度選んだら」の部分で失敗したら、もう何も残されていない、ということになりはしないか、、。わたしなんかは、そういうビッグな選択が不得意なので、ますます厳しい世の中になりそうで怖いです。今でさえやり直したいことだらけなのに、、。


でも、、もとをたどれば、わたしがやり直したいことだらけなのも、世の仕組みがわかっていなかったせいだ!ということで、やっぱりもっと将来を想像できる教育がいいんではないか、という気になってしまい堂堂巡りになるのですが


、、じゃあこうしよう、「将来」が誰にでも何歳の人にもも開けていて、かつやり直しができる!そのほうが色々な経験を持った人がいろいろなところで活躍できるんじゃないかしら、なんてわたしが決められることじゃないけど、。高校受験の(あるのを知らなかった)とき、既にわたしには「仕組みわからない病」の徴候が現れていたのです。だけれどそれを病状だと読み取れるようになったのは最近なのです。今からでも手当てができるといいのですが、、。シクシク。


いずれにしても「職業」「産業」という概念を通してしか未来を思考できないとしたら、産業社会の支配が完了したってことになるのでしょう、もうなってるのか、、それでもわたしを含めたみんなが楽しくなるならいいですけれど。


、、ってことはさておき、そうなんです。家から高校まで徒歩45分、もちろん片道です。半端な場所にあるせいで電車もバスもなく、自転車も何故か距離のせいでダメだった。友だちとのろのろ歩いていたので、50分〜1時間かかりました。しかも山にあるので、夏の暑いこと、、。でもこれは高校に始まったことではなく、中学も別の方角の山に徒歩1時間かかりました。小学校も別の山へ。大学に入ったときに学校が平地にあったのが嬉しかったです。