フェア認定商品

友だちに『エビと日本人』を貸してもらい、さっそく読んでみました。エビ輸入業のよる環境破壊、現地生産システムへの影響と搾取体系や男女の賃金格差など、自由貿易による弊害の縮図を見るようでした。バナナはもっとひどいと書いてありましたが、もっとひどいというのが想像できないくらいエビも酷かったです。あの本は80年代に出たらしいのですが、それから約20年経っているのに、現状が殆ど変わっていない、それどころか、エビ生産場所の移転あるいは拡大という形で広がっているかのようで、驚きました。それに、やはり入ってるのですね給食に。
エビだけでなく、マグロも、コーヒーも木材も、、、なんであれ、誰が誰から買い付けているかということが不透明なのは恐ろしいことです。そこで問題なのは、傘がないことではなくて、どうやって現行のシステムを問題化することができて、どうやって「改善」することができるのか、その「改善」に向けてわたしたち庶民には何ができるのかということだと思います。


前にスターバックスフェアトレード・コーヒーは興味深いと書いたのですが、いわゆる「フェア・トレード」のメインストリーム化?と、企業の社会的な善行(?)との関係はホントに興味深いものがあると思います。聞いた話によると、「フェアトレード」というラベルは、いろいろな国にあるフェアトレード協会みたいな権威が認証してつけられるもので、それは品目ごとに個々につけられるものだそうです。ということは、どんな大企業であれ、どんな体質でどんな商品を扱う企業であっても、一品だけ「フェアトレード商品」を扱うことができるわけです。コーヒーの例でいえば、搾取コーヒーにまみれながら、1パーセントだけフェアトレード商品を扱うこともできる。つまり、割合的には99パーセントが搾取コーヒーであっても、1パーセントのフェアトレード印の商品を取り入れて、企業イメージをあげることができるわけです。それだけでなく、フェアトレードを一部「取り入れる」ことで、そもそもフェアトレードの必要を生み出したアンフェアトレードの構造は温存されてしまうのではないでしょうか。体制が変わらないで何が変わるのでしょう、、でもまあ、大量消費を前提とした経営システムのままであっても、そこで扱われるものが少しでも変わっていけば、100年後にはそのシステムも「改善」されるかもしれませんが、、、、それまで誰にどのような生活を強いてしまうのでしょう?


現行の「フェアトレード」にはそんなアンビバレントな面があるということを気にかけないといけないようです。「フェアトレード」には、なにが「フェア」なのかを認定する機関があり、その機関の認定証があることが「信用」となっていて、このおかげでどの商品が「正真正銘のフェアトレード」なのか見分けることができるのかもしれません。しかし、この認定証がカンペキだと思い込んでしまうと、この機関に認識すらされない零細小作業は見過ごされたままになってしまうかもしれません。そのうえ、フェアトレードという名の新スタンダードとなって、零細小作経営を救うどころか圧迫するおそれもあるし、何よりも1パーセント仕入れるだけの企業にとっては免罪符ともなってしまう、、かもしれないのです。
フェアトレードで「民芸品」を扱うかどうかが検討されていると聞きました。詳しくは知らないので全然勘違うかもしれませんが、、、民芸品のフェアトレードは、経済的な不自由を強いられている先住民族などの伝統工芸を守る、と同時に流通機関を作り出し収入源として利用することにつながる。、、かもしれません。しかし同時に、ある機関によって「伝統工芸」が「認証」されるということについての文化的な意味を考えるべきだとわたしは思います。どこぞの金満家が「コレはこの民族の伝統で、この民族に属したものだ」と認証するということは、民族自決の概念とは相容れない気がします。たとえばナニカの工芸品があったとして、その使用法も、価値も、位置付けも、その民族だからこそわかっているものかもしれない、それなのに「外部」の機関に「認証」されなければいけないとしたら、これは「自決」ではなくなってしまう、しかもいくら「フェア」であっても「商品」という価値体系におかれそのなかのでの価値で判断されてしまうのですから。、、、でもでも、一方では、何でも商品化するハイエナのような現在の産業社会では、「これは特別」と認証して保護されないととただ奪われるだけになる、かもしれない。、、なんていってるうちにすでに観光産業がやりつくしているかもしれないけれど。
というわけで、このことでわたしが最も問題だと思うのは、こんな形での二択しかないというところです。そこに追い討ちをかけるように、企業的商売が入り込み、フェアトレードを付加価値として売り出す戦略がとられていくとしたら、「フェアトレード」」で謳われていた「フェア意識」は陰を潜めてしまいそうです。


トレード、取り引き、交換というのはとっても難しいことだと思います。何と何が「等価」なのか。それを、誰が、どのような機関が、どのような認識の仕方によって生み出すのか。お金がモノゴトの価値を「翻訳」する主な手段だと思いますが、お金というもの自体が価値置き換えであって、何と何が等価なのかを決める資本主義的な価値体系に属したものです。その価値体系から抜けることができないばかりか、グローバルにガンジガラメになっているのであれば、その体系内部での「フェア」さを求めなければならないでしょう。でも、それはどうやって達成されるでしょうか。
、、エビ輸入業が極悪だからといって、それに実際携わっている人やエビを食べている人に悪意があるわけではない(と思う)、それなのに恐ろしいシステムのまま続いてしまっていることが怖いと思います。、こんな悠長にしていていいのか、、難しい問題だらけで頭がこんがらがります、、、フェアトレードの流れが大きくなった方がいいと思いますが、、大企業も「社会貢献」するようになってきたらしい、、これは手ばなしで喜ぶこともできないのですが、、「フェア」を求めて三千里ですね。、、いや、しかし千里の道も一歩から!とりあえず零細個人のわたしも手探りで一歩一歩探っていきますよ、、、探ってきゃあいいんでしょっ!(なぜかキレる)