グッバイ英語帝国主義

スペインへ行く友人は、直前にアリのようにコツコツとスペイン語を練習していた。それだのにわたしは「アハハ、あなた、そんなスペイン語で行くつもり?!」とあざ笑っていたのである。なんてキリギリスなんだ!、、考えてみたらわたし、中国語全然できないままに中国へ行ったのですから。いったいどういう了見だったのだろう。

わたしが出かける前に覚えたのは、結局「ありがとう」と「どういたしまして」だけ。「謝謝」については前から知っているのだから、実際に今回覚えたのは「どういたしまして」だけである。これは浅はかである、わたしが中国でどんなお礼を言われるというのだろう!、、でもこれだけしか覚えられなかったのです。

どうしてこんなに中国語を勉強できなかったのかというと、おそらく現実味がなくて興味がわかなかったからだと思う。その証拠に、中国へ行ってる間に
・1〜100くらいまでわかるようになった(今は1〜9まで、、)
・「明日」「明後日」などもわかるようになった(今はもう覚えていない)
・誰の話をしてるのか勘が働くようになった
・テキトーに相槌が打てるようになった
・聞き覚えのある単語を聞き分けられるようになった
・中国語を勉強したいと思うようになった(ただし、しない)
のである。

しかし、これがわかるようになったのは後半になってからで、殆どの間、わたしは同行の友人に中国語の会話を任せきっていた。「あたくし、外との交渉はすべて主人に任せておりますのよ、オホホ」という奥様のようであった。こうなると社会への窓口がこの「主人」しかいないということで、これはかなり特殊な状況だと思う。周りで話されていること全部が他人事、ただの雑音って感じになる。言葉がなければ主語「わたし」もありえない、「これが主体性のない状況なのねぇ」とシミジミとしたくらいである。
しかも同行の友人は中国語のネイティブではない。そのせいか(それか興味がないのか、面倒なのか)万里の長城ツアーに参加したときにも、中国語の説明を殆ど翻訳してもらえなかった。麒麟の絵の前で長々とガイドが説明しているので「なんて言ってたの?」と聞いたら、「ん、キリンだって」との答え。「ふーん」とわたし。それで終わるのである。「長々と話してたじゃん、もっと何か言ってたでしょ!」と突っ込む気にもならなかった、、言葉を他人任せにしていると、こんなにも参加度が薄くなってしまうのだった。


というわけで、中国語もできず、日本語も英語も通用しないなか、一人のときには「筆談」が主な伝達手段でした。でも、筆談が果たして成り立っていたかというと、、、、
たとえば、中国の飛行機で隣になったおばちゃんはいろいろと世話を焼いてくださったのだけれど、この人がわたしにカップケーキをくれた。そのときにおばちゃんは何か書いてよこしたのだけれど、わたしはそれを「わたしは糖尿病で甘いものが食べられないから、あなたにあげます」と言ってるのだと思った。だから「わかった、謝謝」と答えたのだけれど、本当は「わたしは昔自分でケーキを作っていました、だから味を知っているので、これはあなたにあげます」といった内容だったらしい。全然違うじゃんか。


それからエアコンの表示が確か「制熱」「制冷」になっていて、どっちが暖房なのかわからなかった。熱を制御するってことは冷房?という気がしたのだけれど、どうやら「制」は「作る」っていう意味らしい。というわけで、正解は「熱をつくる」→「制熱」が暖房でした。

こんな些細なことだけれど、言葉が違うというのは、言いさえすれば話が通じるという幻想がない分、面白かったです。


で、今回気づいたのでございますが、恥ずかしながらわたし英語帝国主義でございました。主義というよりは、、、わたしの頭のなかで言葉は「日本語」「非・日本語」に分かれているらしくて、そのうち「非・日本語」は英語しかわからないから、非日本語で話されると、それがたとえ中国語であっても、自動的に英語で答えてしまうのである。、、、わたしのなかで、英語の覇権はここまで進んでいたのでした。
でもわたしが関わった中国では英語は北京空港でしか使えなかった。だからわたしは英語帝国主義がセコイってことも身をもって思い知りました。英語が世界の共通語だなんて、小さな世界だなオマエ!ってなもんです。