デモの敷居

いつも拝見しているブログ2箇所でデモのお話しをしていていました。その議論を少しも反映していないのですが(だから余計な言及いたしませんが)、わたしもデモには思うことがあるんです。
それは、デモの敷居。


わたし実はデモが大好き。何の問題か知らないデモすら参加したいくらいです。みんなで目的や意見や雰囲気を共有するのって、寂しがり屋さんのわたしとしてはとっても楽しそうに思える。演説とか聞いたり、みんなで「ね〜そうだよね〜!!」ってやりたいにゃ〜。

もっといえば、わたし絵も字もびっくりするほど下手だし、コピーライトの才能も皆無だけれど、いろんな看板作りたい!歌も死ぬほど下手だけど、キャッチーなデモ歌をうたったり。あと、ゴダールのあの映画の毛沢東体操みたいなのも取り入れたい。

楽しそうだなぁ!(のん気な言い方ですが。でもこれってデモのジレンマを含んだ問題ですよね。デモはゆとりのある人だけのものなのか(参加できない人の声はどうするのか)!とか。デモって問題意識をぶつけて訴える機会でもあるけど、同時に社会システムの一部になってそもそもの問題意識を解消させてしまう機会になってしまう(かもしれない)だろ、遊びじゃねんだよ!っていうような。)


だけど、わたしデモ好きとはいえ、デモってものがどういう手順で行われるのか知りません。いろんなデモがあるだろうけど、デモが開催されるときにわかったらいいなと思うのは、、
誰かが主催してるものなのか。
だとしたらその主催者にある程度コミットしなきゃいかんのか。
どんな参加者を想定しているのか、、、


この辺のことがわからないと、たとえ関心があったとしても「参加していいのかしら、、?」というところで終わるのがせいぜいだと思う。


敷居が高いんだもん。


、、だから敷居を低くする作戦をとったらどうかしら。「あなたもわたしも来ていいんですよ」って、アドレスする作戦を。わたしみたいに少しだけでも関心がある人や知識のない人にも機会を!ってわけです。こんなの世界の常識かもしれないけど。わたしの考えでは、
まずデモのお知らせには、(どういう問題かっていう話やスローガンだけでなく)デモがどんなスケジュールなのか詳しく説明する。(そうすれば、どういう心構えで行けばいいのかイメージが沸いて安心するから。特に、初めて行く人や一人で行く人なんかは、自分の居場所がないんじゃないかってことが不安だと思う。わたしはそういうのが不安。だからボヤーっとする時間がないように、やること目白押しだといいな。やることって演説やらパフォーマンスを見るでもいいので。あと、「途中から途中までの参加でいい」「見にくるだけでもいい」とかそういうのも知らせておく。)

どんな服装で行けばいいのか、例をあげる
 (「どんな服装でも良い」というのは、誰にもアドレスしない説明だからよくなくて、 「こんな格好もいいし、こんな看板もいいし、こんなスタイルも良い」 「これはこういう理由で避けるべき」、、と具体的に言う。)


必ずしも「意見」をもって集まるのではなく、「考える機会」程度でもよいとか、、
いろいろと「いろいろあっていい」ということを明記していけば、敷居が低くなるんじゃないかしらん。そう簡単にはいかないもんなのかし、、。


あと、東京でのデモなら東京に住んでない人たちが参加できるような、格安バスとか手配できたらいいんじゃないかなって思う。


デモって大同小異、、でしょ???特に「異」があっても良いってことが宣伝されていれば、もっといろいろ集まるんじゃないかしらん、ほんで、いろんな人が参加するようになれば、数の威力で目立つだけでなく、いろんなアイデアも集まってくるし、おもしろい看板も増えるだろうし、面白い議論も広がるんじゃないかし。、、わたしも下手だけど看板作って駆けつけたいって思う。

デモに参加するなんて考えたこともない人やなかなか思い切れない人が、デモに行ったり見たりすることで「こうやって問題を考えるやり方があるのね」ってことを経験することも、大事なデモ効果じゃないかなって思う。だから敷居を低くする作戦も大事だと思います。そうすれば多くの人を取り込めて陣取り合戦に勝てるかもしれない。