それでも何度も言う

2年前に出版された 
それでも私は戦争に反対します。 の存在をやっと知ったので、読みました。


本を手にして、まず思ったのは、どうして「それでも」なのかということ。
「『なんであっても戦争反対』じゃないの?」という疑問と、もう一つ「いまは『それでも』というほどの理由がないのに戦争が行われているのが現状でしょ、それなのにタイトルに『それでも』なんてつけると、まるで現状が「戦争もやむをえない」かのような錯覚を呼ぶんじゃないか」という疑問。


でも、ようく考えてみると、わたしはどんな理由も戦争を正当化しないと信じたいので「それでも」という状況すらあり得ないと思っているのだけれど、でもタイトルに「なんであれ」というのは思考停止の印象を与えてしまうし、
なにより、
この「それでも」というのは、未来の「それでも」、、これから先、たとえ多くの人が「戦争しよう!」と盛り上がってしまう事態が来たとしても、「それでも私は反対します」という未来へ向けた宣言なのだと思う。


そのせいだろう、「緊急出版」されたものだというけど、中身は04年時点の具体的状況への意見というよりは、全体的に、未来へ向けた、抽象的な、漠然とした、概念的な、どこにもない「戦争」への反対表明の印象を受けるんです。、、それがこの本の良いところでもあるし、さすがプロのお仕事、きれいにまとまってはいるのだけど。
45人の作家がそれぞれに寄せた文集で、どれも「うん、そうだよね」とは思うのだけれど、「それでも」という気迫にイマイチ欠けてる気がするんです。米原万里はいつでも好きだし、他にもなるほどって思えるものがもちろんあったけれど、それだけでなく、飛行機チャーターしてイラクへ子どもをさらいに行こうとした渡辺えり子の無謀さみたいな勢いが欲しいのです。積極的介入として、9条講演めぐりというアイデアを提示してるのは良かった。ではそれに向けてどうやってやろうか、というより、「っていうのを誰かやれば?」という提案のように感じられたけれど。(わたしは自分の無力さを痛感しているので、こういう文章にする力のある人には余計に期待してしまうのかもしれません。)


だけど、それでも、こうして声をあげるのはとっても大事だし、何度でも、凡庸な言い方でも、気取った言い方でも、難解な言い方でも、アイデア不足でも、どんなスタイルでも表明すべきだと思う。それに有名人がやるってやっぱり影響力あるもの。だからいい本ですこれ。毎年、毎月出して欲しい。


、、、それから、ちょっと考えてみました、、もしも「戦争について書きなさい」と言われたら、わたしだったら何を書くだろうって。きっと凡庸な「戦争反対」しか書けないと思う。 
それでも、わたしも凡庸な戦争反対を何百回も書こう。と思う。