こんなホームズ

いかがお過ごしですか? わたしは夏休みっぽく調子にのり、海でクラゲに刺されました。
そのうえ、遊び呆けてながらも、一冊もの本を読破するという快挙もなしとげました。その本とは、ズバリ「シャーロック・ホームズチベットへ行く」コナン・ドイルが書いたのではなく、ワトソン君が書いたと設定されているパスティーシュです。


  シャーロック・ホームズ、チベットへ行く


シャーロック・ホームズってこういう人だったの?!」と、ホームズ観を新たにする一冊でした。といっても、ホームズが政治的にどういう立場かなんてこと考えたこともなかったのだけど、この本のホームズにはちょっとガッカリなんです。「推理」も余裕がなくてつまんないけど、そんなことより……
、、語彙が貧困なのでいい言い回しがわかんないけど、、、、西洋近代合理主義・資本主義・自由主義・押し付け屋・殿様視線・軍国主義…この辺の言葉が当てはまりそうな人。なんて呼びつけてあざ笑えばいいんでしょう?


だって、この小説のホームズは随所でこんなことを言ってるんです。


ダライラマとの会話で)
「現代はなんといっても武力が政治力を左右する時代ですから、(…)常に最新式の武装をして、チベットに手を出すと大やけどをすると周辺諸国に思い込ませることが大切です。そのためには(…)経済力をつけることが基本であります。経済力をつけるには、貴国の国内に産業を興して資本を蓄積すること」


「(…)わが国ではすでに18世紀以降、産業に合理的・科学的な手法を導入…これが収益の増大をもたらすとともに人間生活の向上に大いに役立つことが明らかになるにつれ、…まだこの手法を知らない発展途上の国々にも教えて差し上げ、人類全体の生活水準の向上に寄与するのが天から授かったわが国の使命だという認識が広まってまいりました。インドの植民地化もある意味ではその一環であります。個々のケースを取り上げれば、…いろいろと悲惨な状況も発生しましたが(…)全体としての平均値でみれば(生活水準は)むしろ上がっているのです。」


チベット滞在を回想して)
チベット人としての国民的感情というものを別にすれば、もっと合理的な国家運営をおこなう国に吸収されたほうが、国民一人ひとりにとっては幸せなのではないかとさえ思えるのだ。チベットといっても、元はといえば、諸民族の寄り集まりだし、国の支配者が誰であろうと、また上級官僚が誰であろうと、国民の一人ひとりにとっては少しでも豊かな生活をおくれることが幸せなのであって、仏教の教えのままに、来世に夢を託して現世の貧困を我慢することが幸せではないはずだ。」


この小説は「訳者」によって書かれたパロディのようですが、その訳者は「あとがき」にこう記しています。

「(…)チベットの悲劇的な現状とわが国とを比較するとき、明治維新におけるわが国の指導者たちの偉大さに改めて思いを深くしました。つまり、チベットは仏教の戒律による専制政治により支配者層が徹底的に変化を忌避し、既得権を守ろうとしていたのに対して、諸般の条件の違いはあるにせよ、開国後の日本の主導者たちは、基本的な姿勢として変化を恐れず、「西洋かぶれ」という批判もあるなかで、よいものはめんつを捨てても臆面なくどんどんんと取り入れようとする進取の気性と勇気と先見の明がありました。それが今日の日本の基礎を築いたのであり、それこそが日本とチベットの明暗を分けた要因の一つではないかと感じたのです。そういうことを考えさせる点からも、この作品はユニークなものでした。」


ホームズっていろんな可能性を考察したりして推理する人じゃなかったの?こんな紋切り型のことしか言わせてもらえないなんて、、、、ノンキよのう、、、。っつうか、こんな風にお殿様な見方ができたらどんなに楽だろう。
でもわたしには無理、だって明治の偉大な指導者以来偉大な指導者に恵まれているわが国の国民一人ひとりであるわたしが「幸せ」じゃないもん。


歴史は、封建制度から資本主義へ進む、、、、だっけ?


確かに資本主義っつうのは、人やモノの価値を資本の点から評価する点で、過去の因習とは違う制度かもしれないけれど、だけど資本主義は封建社会を帳消しにしたのではなく、封建社会をひきずってそれを利用しつつ展開されてる、ってのがわたしの見解。植民地主義はいうに及ばずです。、、って威張ってみたけど、わたしが考えつく程度のことは1000年前から言われてるはず。


、、ってことは、この小説なんなの?他のどんな可能性も考慮に入れてないみたいで、ホームズってパーなの?って気がしちゃう。喧嘩売ってるのかしら?パロディだとしたら高度すぎてわたしにはわかんない。そんな夏の読書でした。