オズの続き

先日のオズのことなんですけど、いろいろご意見いただきました。そのなかに「じゃあ作品を燃やせって言うのか?」というご指摘がありました。わたしの書き方が拙く誤解を与えたのかと思いますが、わたしそんなこと考えてもいませんでした。…じゃ、なんでうろたえて問題に思うのか。時間がたって考えなおしてみました。


① そうですねぇ、わたしが最も驚いたのは、自分がそれを知らなかったということです。いくらルビーの靴に目がくらんでいたとはいえ、わたし自身がその気配を感じもしなかったこと(気配がないのなら結構だし、見落としてるならイヤだな、と。)それから、自分が知らなかっただけなのかもしれませんが、これだけ有名な作品なのに、知る機会もなかったのは、先住民の歴史が忘れられていく表れではないかとも思いました。映画の作詞者については労働ソングを作っていた社会主義者だと聞いていたのでわりと「安心」していたし、なんといってもオズですから。


だから、今後オズとその流通のされ方を見るときには、見落としていたことがないか気にすると思います。いまのわたしにとって「誰」を排除する可能性がある物語なのか、どんな考えを支えるようなものなのかを。
で、その結果、やっぱり排除されるのは頭の固い保守派くらいってことになれば、わたしとしては良し、ってことになりますわな。(余談ですが、確かsuzanne westernhoeferというコメディアンのゲイ・バッシングのジョークに、ディズニーランドのLGBTの日に、保守派が飛行機で抗議にきて空に「ドロシーの友だちよ、降伏せよ」という文字を書くってのがあって笑いました。(「オズ」のなかで悪い魔女が空に「ドロシーよ、降伏せよ」と書く))


② それから、たとえば、こういう議論があることも心したいです。

ショーニー族の自称族長であるJimmie Oylerは、彼らの部族のものであった土地に、テーマパークを建てることは間違えていると言う。"If it has anything to do with Baum ... it's never going to be on Shawnee land." バームに関するものであるなら、、ショーニー族の土地には決して許さない。CNN International - Breaking News, US News, World News and Video

わたしは環境破壊と独占的消費文化を助長するような企業テーマパークなら何にせよ反対ですが、とにかく、もしもボームが原作者として称えられているオズ・パークが原住民の土地にたつとしたら?バームが皆殺しを主張し、実際に虐殺されてきた民族の子孫の目の前で、「それとこれとは話が別ですから!」って、ボーム・パークができていいものかしら…。強い言い方をしてみると、「あのこととは関係ないですから」って言いながら、今度は土地まで利用開発するなんて、先住民族を再び踏みにじっているみたい。


だけど、テーマパーク建設派にとっては、わたしのようなノンキなオズ消費者は、格好の潜在的観客として数えられるわけで、そうなると(反対と言う声をあげない限り)「わたし」もある意味でオズ・パーク推進派として数えられ、加担者になる可能性がある。ひいては先住民の歴史の風化を加速させ、(消費文化、企業文化をますます助長し)、企業によって用意されたマルチカルチャリズムしか見れなくしてしまうかもしれないのです。(しかも、完成した日には「ここカンザスじゃないみたい」とか言って楽しんでしまうんですよきっと。あたしのバカバカ!)


ちょっと大げさな話かもしれませんが、でもわたしはイノセントな「好き」であっても、怖いことにつながるかもしれないし、思いもよらない面白いことにつながるかもしれないとも思っています。だから、いろいろ気づいて「選択」できるようになりたい。楽しむだけでなく、「できる限り悪くない消費者」になりたいし「よりより社会になる可能性に投資できる消費者」にもなりたい。たとえ貧乏でモノの数にもならなくて情報収集能力に欠けていても。そのまえにパラノイアになっちゃわないか心配ですけどね!


以上、消費や価値観の「流通」といった面から考えて。(ちなみに、テーマパークの建設については、場所をいろいろ当たってるという2,3年前の記事くらいしか見つかりませんでした。)


こんなのがあった。
Indian-Hating in "The Wizard of Oz" By THOMAS ST. JOHN