オズの件(漕ぎ出した舟につき記事を翻訳)

「オズのつづき」の最後に、いい加減な気持ちで「オズの魔法使いのなかのインディアン嫌悪」という文へのリンクをはっつけたところ、筆者のトーマス・セント・ジョン氏からメールを頂いた。「うわっしまった!叱られる!?」と怯えたけれど(何かあると「うえー叱られる!」と慌てる癖があるのです、、なんとかしたい)、叱られるどころか「リンクしてくれて嬉しい」という内容でほっと胸をなでおろした。ご連絡頂きわたしこそ嬉しいですよ。
外ヅラの良いわたしは、「いや〜、ろくに読まずにリンクしたんですよ」とはもちろん言わず、「なんなら日本語に訳します」と申しあげたところ、「ぜひ」ということになった。
…となると途端に、「えーマジー、ちょっと面倒くさいな」と思う。それならいっそライザ・ミネリのサイン会に駆けつけたときの思い出話したいなあ(オズとは関係なし、、ただただ「うっふっふ☆」という気持ちから、、。)、、、だってさ、訳したって一銭にもならないじゃんか、と急にさもしい気持ちになってしまったのである(ごめんよ、トーマス)。
だけど、乗りかかった舟、というか自分から漕ぎ出した舟。流れ流れていつかはオートクチュールまみれの豪遊セレブ生活へ導いてくれると信じて(なんて飛躍…)、下に翻訳しました。(とっても長いので、二回くらいに分けようかとも思いましたが、良い方法も知らないので、いっきに載せてしまいます。コメント欄までたどりついた奇特な方、ありがとうございます)


あ、でも、そのまえに。
トーマスさんからメールが来てから、あわてて例のリンクを読みなおし、以下の質問をしてみました。

・現在『オズの魔法使い』は、アメリカ内外で、人種的・文化的に様々な背景にある人たちによって、読まれ/見られ/消費されており、したがって、その「読み」も多様化していると思われます。それなのに、なぜ現在、もはやかつてとは同じことを意味しないかもしれない「古いシンボル」を取り上げ、ボームの政治的姿勢について議論することが大事だと考えるのですか?(わたし自身が問題にしたいのは、消費扇動的リベラル「マルチカルチャリズム」のなかで、こうした歴史の一面が殆ど語られていないこと、さらに、このような流れのなかで、この物語を通じてどのような考え方が流通する可能性があるかという点です。) 
・記事のなかであなたは「映画では露骨な政治的シンボルは除かれ、その代わりに愛らしさが注がれた。アメリカの外交政策がより巧妙な理屈を必要としたのだ。」と書いています。このことについて、もう少し詳しくコメントして頂けますか?

返答(の編訳)
あなたの質問はもっともなもので、これらについて答えるのは容易ではありません。そこでまず以下のことを述べたいと思います。

オズの魔法使い』は、基本的にアメリカの「国家主義的なファンタジー」であるということ。このファンタジーは最も人気のある映画であるだけでなく、巨大産業でもあるのです。わたしが最初にこのファンタジーについて書いたのは1972年の9月です。調査するのに5年掛かりました。

オズの背景にある歴史を知って多くの人はとても驚きます。アメリカでは多くの人にとって歴史は現実的でないのです。黒人やインディアンの歴史は削除されているので、偶然それを見つけた場合、多くの人はショックを受けます。わたしたちは、自分たち以外の人々の文化や現実を衝動的に否定しようとします。歴史を通じて常にそうでした。もちろん、このような否定は、誰にとっても破壊的です。

1972年、わたしはヴェトナムやカンボジアアメリカ人がしていることに、恐怖を覚えました。現在わたしは、イラクパレスチナレバノンやその他数え切れないほどの国々におけるアメリカの行動に、同じくらい恐怖を覚えています。歴史を否定せず受け入れることを学ばない限り、アメリカはいつまでたっても文明化されないと思っています。強く否定すればするほど、衝撃は大きいのです。

たくさんのモスリムやアラブの人たちがわたしの記事を読んでくださったことをわたしは知っています。わたしの書いたものが、アメリカ国外の人たちの見解に少しでも貢献できれば嬉しく思います。


というわけで、
L. Frank Baum: Racist Indian-Hating in "The Wizard of Oz" By THOMAS ST. JOHNの訳です。
断片的かつ断定的な書き方なので、わたしとしても「おいおい、証拠あんのかよ」といいたくなるところもありますし、「物語のなかでもっと複雑に展開されてるんでは?」と思うところ、「説明不足でわからん!」ってところもありますが、1972年から考えてきた筋金入りらしいのでムニャムニャムニャ(お茶を濁す)。
それから、わたし自身が歴史を知らないので、誤訳誤認があるかもしれません。見つかり次第直します。

ライマン・フランク・ボーム(1856-1919)は「オズの魔法使い」のなかで、アメリカン・インディアンの撲滅を主張していた。ボームはアイルランド系のナショナリストの新聞編集者で、旧ダコタ・インディアン地区に居住していたこともあった。ボームが開拓者たちに抱いた共感は、撲滅を正当化するようなオズのファンタジーにもつながっているのだ。ボームの使った「イノセントな」シンボルが、開拓者を記念するものや、政治的な状況や人を表しているのは明らかであり、開拓者の子どもたちに人種差別の現実に備えさせる役割をもっていたのである。


黄色いレンガの道は、ボーズマン・ロードからモンタナの金鉱地への金の道を表している。(インディアンの)レッド・クラウド首長は、フィル・キーニー区を含めていくつかの(白人)立ち入り禁止地区を築き、不服ながらもフォート・ララミー条約を結んだ。しかし、1874年にジョージ・アームストロング・カスターは、ブラック・ヒルズの遠征中に金鉱を発見すると、インディアンとの条約を遺棄、アメリカ政府の政策をリトル・ビッグ・ホーンとウンデッド・ニーの大殺戮へと向わせたのである。(訳すときに、この辺の事情は金鉱の発見とブラックヒルズが合衆国の領有に帰した経緯を参考にいたしました。)


翼のついたサルは、アイルランド系であるボームが、アイルランド警察隊をモデルにして作られた北西騎馬警察隊に向けた風刺。警察隊の緋色のチュニックと狭いひさしの略帽とストラップは、初版のカラー挿絵に明確に見れてとれる。1877年にシッティング・ブルがカスターを殺してから領土から退却し。騎馬警察に保護された後は特に、ダコタ地区の村人はこの英国警察隊をバカにしていた。


死の砂漠、グレート砂漠、通り抜け不可能な砂漠、これらはグレート・レイクの西部および南部にある、偉大なるアメリカ砂漠として知られる開拓者の土地を示している。ボームはこれらのフィクションの砂漠を、オズのユートピアと外界との緩衝壁とし、敵である外国人からオズを守ろうとしている。実際、このような緩衝エリアの設置は、植民地化の初期から、インディアンに対してとったアメリカの外交政策でもある。


エメラルド・シティは、エメラルド・アイルアイルランドナショナリスト・バージョンである。アメリカの砂漠に作られた聖地アイルランド、すなわち(ラコタの人々にとっては神聖な)パハ・サパという砂漠地帯にある、開拓者にとって石炭敷の鉱物の豊かなブラックヒルズのこと。カンザスネブラスカミネソタでのアイルランド系の入植はブラックヒルズの侵略の基盤となった。


釣りあがった目でウィンクしている黄色いウィンキー(奴隷)によって、ボームがシンボル化しているのは、ユニオン・パシフィック鉄道建設のために西部に移住してきた中国人である。


ケシ畑は、イノセントな子どもが初めて見るアヘンである。アヘンは19世紀には鎮痛剤としてインディアンの移動薬屋で専売されていた。ボームの危険なケシは、催眠と悪夢を起こす毒アヘンなのである。


西の悪い魔女は、1900年の初版では飾りで編みこまれた豚の尻尾が飛び出た黒人の幼児として描かれていた。ボームはこの魔女を描写するのに「茶色」という言葉を何度も使っている。もっとも、このシンボルの歴史的な意味は、ピューリタンによる西欧の魔女と、同じくらい野蛮なアメリカン・インディアンとの混同にある。


孤児のドロシーが文明あるカンザスから乱暴に連れ去られ、自分や友だちを捕らえている悪い人物から自由になる魔法を探し、悪者を退治する。これらのテーマは、200年も前から語られている物語、すなわちインディアン敵視をかき立て、「暴力による救済/解決」をたきつけるインディアン捕獲の物語からとられたものだ。


オズの魔法使い」の大成功に続き、ボームは「サンタ・クロースの冒険」というファンタジーを書いている。ボームが開拓者としての経験を考えていたのは明らかである。この本のマリー・カウレス・クラークのイラストは、トマホーク(インディアンの斧)、槍、インディアンのテント、インディアンの男女子ども幼児の顔がたくさん描かれている。ボームはこれを「大高原に建つ野蛮な獣皮テント」と記している。


「Awgwasの邪悪さ」「善悪の大決闘」というタイトルの二つの重要な章がある。Awgwasとは「例の恐ろしい種族」「邪悪な部族」、すなわち、ネイティブ・アメリカンである。ボームはAwgwasを非難し
「おまえたちは、生命から無へと移行する儚い種族なのだ。永遠に生きるわれわれは、お前たちを哀れみながら蔑む。地球上でおまえたちを軽蔑しない者はなく、天上にもお前たちの場所はない!死すべき運命にある人間ですら、地上での生命を終えると別の存在へと入っていくのだから、お前たちより優れておる。」
予想できることだが、数ページ後には「邪悪なAwgwasの残骸は小丘となって高原に点在している。」と書かれてある。ボームは新聞のウンデッド・ニーの残虐な現場写真を思い起こしていたのであろう。


見えないバリアの向こうから自分の帝国を支配していた1899年のオズの魔法使いは、1869年の南部の見えない帝国の魔法使い、クー・クラックス・クランを思い起こさせる。ボームのキング・クロウとかかしとの出来事は、世紀の変わり目に施行されたジム・クロウ法に関係している。


圧倒的な人気を誇るライマン・フランク・ボームのファンタジーアメリカの外交政策の暴力的な一面とは、これ以降ずっとアメリカ人の心のなかで溶け込んでいる。ボームの未亡人は、1939年のハリウッド版「オズの魔法使い」の公開を見て、センチメンタルな物語に変わっていると批判した。実際、物語のなかの古くて露骨な政治的シンボルは取り除かれ、その代わりに愛らしさが注がれた。アメリカの外交政策がより巧妙な正当性を必要としていたのである。


−−過去を記憶できない者は、あやまちを繰り返す


(は〜くたびれた、今日はここまで。いずれ気が向いたら読み直してミスをチェックします。)

そういえば、これを訳すにあたって、ショッキングなことがあった。去年わたしは、ヒト様が使っている電子辞書を見て猛烈に欲しくなり、大金をはたいて購入したんですよ。で、今回これを訳すにあたり「これぞ電子辞書の出番でしょ」とあるべき場所を見てみたら、、、ない!、、どこ探してもない!いつの間にか行方不明になってたんです。今までは失くしたことにも気づかず幸せに暮らしてたのに、え〜ん、わたしの2万5千円返せ!誰にぶつければいいのかこのやるせなさ!オズのこんなことを知らずにいれば、紛失にも気づかなかったのに、、、。(そんなオチかよ)