弱気なとき

ところで、わたしは「結婚」という制度は、「家族」という名前とともに、政治的経済的な国民管理国家維持システムでしかないと思っているのだけれど、大正だか昭和だかに「恋愛」と結びついたことが、ことをややこしくしてると思う。国家制度に従属しているのに、やってることは「個人(の想い)」で「個人的・主体的に選択」しているかのように思えるような、わかりにくい、あざとい仕組みになったと。


「恋愛だ」っつうなら例えば同性婚を否定する根拠はどこにもないだろうに、いまだに男女しか許さないし人数限定じゃんか。ただの管理制度だっていうのに、男女が結婚するのは「自然の摂理」みたいな恣意的な「自然」を持ち出す見苦しい政治家とかいてうっとおしいんよ。


わたしは税金とか保険とか介護とか養子制度とかも含めて現状の結婚・家族システムを変えて欲しいと思ってる。とりあえず現状の結婚制度を変えて欲しい、、結婚とそれにまつわる制度全部を解体・再編成すりゃいいと思ってる。


、、、とはいうものの。
最近わたしは陰謀に負けているの。、、、弱気だとロクなこと考えないんだよね。


10年くらい前に友だちが「わたしは人生に目的もないし何もできないから、結婚するしかない」とか言っていて、そのときは誇張か冗談かと思ってたけど、なんつーか、最近わたしもその気持ちがよくわかるんですよね。「特別な目標もないし何もできない」っていう分析から「結婚しかない」という結論に至るあたりは政府の陰謀ですけどね、ま、とにかく、わたしにもイロイロあって、というか、いろいろなくて、「結婚した方がいいかな」って気に駆られているのです。特に、そんなことを言っていた友達が、結婚して子どもをもち、水を得たように活き活きしてるのを見ると、なるほどそういうことかもなぁと。それから、いつもいつもいつもいつも会うたびに「結婚しないでどうするの?」と言ってくる人がいるんだけど、おかげさまで最近は自分でも「どうするの?」っていう気にさせらるしね。


「結婚した方がいいかな〜」なんて、友だちや家族に聞かせたら「やっと改心したのね…」って思われそうだけれど、、「改心」したところで、「渡りに舟」がないんですよねー。舟がないからこそ「渡りたい」と思うのかもしれないけれどさ。舟どころか、ぜんぜん人と知り合う機会ないんだもん。
だからって、まさか、昔付き合いのあった人を突然たずねていって、「前にわたしと結婚したいって言ってたけど、その話はどうなったわけ?」って聞いて周るわけにもいかないしさ。どうしたもんかなぁ、、


なんて考えているうちに、魔が差して(?)、いま「結婚相談所」をグーグルしちゃった。
高〜い!40万もしてるよー。


それにさ「見合った方を」とか言って、自分の情報とか、相手の希望とか、、、
どうしよう?


例えば、わたしが相手に望むことは「ヒダリ寄りなこと」だったりするんだけど、こういうのは相談所に受け入れてもらえるんだろうか?っていうか、わたしを含めてそういう人が登録するものなのだろうか、、、
好きなことは、「革命に向けてあれこれ考えたり、作戦を立ててワクワクすること」だったりするんだけど、こういうのをマッチングしてくれるんだろうか?  
それと、わたしの素晴らしいところは、、、うーん、これはようく考えてから宣伝しよう。趣味は、、なんだろ?困ったわ、、


しかし、、、あらためて考えてみると、やはりわたしも「価値観の共有」を重視してるんだなー、うーむ。、、そう思うと、宗教団体内で結婚するってのは合理的なんだ。、、ってことは、あたしもサヨク的な団体に入れてもらうことから始めればいいのかしら、、。でも、結婚目当てで入るなんて、いいのかしらわたし、、、。


ま、とりあえず今日はもう寝るか。