ポリガミー

そういえば、「ポリガミー」についても考えるべきかもしれないですね。ポリガミーとは、なんぞや?たとえば、それは、モノガミー的な一対一の関係を、複数の人と結ぶものなのか?、、、それともオープンな関係、つまり、一対一のモノガミー的な関係が特別に一つあって、その他浮気可という状態なのか(そしてその「浮気」ってどういう感情や行為からどういう感情や行為まで?)、それとも???    、、、そもそもモノガミーって何?って問題にもなりますね。「どういう状態がモノガミーとして認識されてるの?」って。それってつきつめると、なんらかのモデルになっているものがありそうで、、、ううむ、これはやはりアイツの仕業?、、その名も「婚姻制度」、??
、、わたしはモノガミーやポリガミーがよくないとかよいとか言いたいのではなくて、そして婚姻制度だけを槍玉に挙げたいのでもないのですが、、、わたしたちがいろんな感情や行為や関係の可能性をもっているとして、だけど、実際に認識可能になって現れる感情や関係は、「これは友情」とか「これは恋愛」とか「コレはナニ」とか仕分けされてこそだと思うのです。、、その仕分け作業に、社会的な制度やボキャブラリが関わっていると思う。逆に言うと、そういう制度やそういうボキャブラリが、(仕分けされた)感情や関係の出現を可能にしているし、制限もしている、、のではないか。だから男女カップルを標準に据える制度ってどうなの?って思うのです。、、うーむ、 ますます意味不明な世迷い言になっちゃったかし。
 ちなみに、わたしは結婚という制度については(それがどういう制度なのかも、よく知りませんが)、、税金やら相続やら社会保障やら何やらかにやら知らんけど、婚姻関係や家族を単位にせずに、もっと個人を単位にできることは、個人を単位にしてくんないかな?と思っています。未来にどんな選択の可能性があるのかわかりませんが、もしも婚姻制度が今のまま残るのだとしたら、同性婚も当然入れるべきと思いますが、、、もっと別の形で婚姻制度そのものが解消してくれていいです、わたしは。尼僧ヨアンナですから。 、、とりあえず選挙のときには、こういうことも考えて投票しているつもりですが、なかなか話題になりませんね。