仕事のプライベート

古川日出男の小説読んでたら、都バス好きのトバスコという子がいて親近感を覚えました。彼女ほどじゃないけど、わたしも以前はバス利用者で都バス乗りまくってたので。わたしは、他のバスとすれ違うとき運転手さん同士が軽く手を挙げて合図し合うのが好きだった。運転手さんって、乗客であるわたしたちには始終「運転手」なのに、同僚に対するときには、表情やしぐさには、制御されているとはいえ、ふと、別の姿がでてるから。あ、この人はお調子者なんだろうなー、とか、この人とこの人は仲良しなんだなーとか。この人とは仲良くなさそう…大丈夫?なんて。運転手という佇まいでありつつ、個人でもあるって感じ、当たり前だけど。こういう軽く公私が入り混じる瞬間をカイマ見れるとウフフと嬉しくなる。(向こうはジッと見られてると思ってないから、「覗き見」みたいで、気づかれるとお互い気まずい。)あー、バスはいいな!景色も見えるし。バスはいいな! でも都会以外では空気を運んでるんですねhttp://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20071124/p2


考えてみれば、制服を着る仕事って、プライベートを抑える度合いが高いと思う。
(「公私別」ってことは、制服を着てるときには、その人の私的な部分は隠されるべきで、つまり出身も家族構成も食べ物の好みもたぶんセクシュアリティも関係ないっていう前提だろうと思う、イチオウ。これって良かったり良くなかったりすると思うけど、何よりも何が「私的」とみなされるかって、かなり恣意的ですよね。たとえば、スカートかズボンかって標準型ジェンダーの公的な取り決めみたいだものね…)ってことはさておき、
制服着てお客さん相手にする仕事、乗り物とか大型店舗とか、あとなんだろ、、そういう仕事の最中に、ふと、その人らしさが出てるのを嫌う人もいるけど、わたしは好ましく思うほうなんです。だから、運転手さんの挨拶にヴァリエーションがあるのがホント大好き。(あくまで「軽く」がいいので、すべてを打ち明けて親友にならなくていいし、気に入らないからって怒られたりは困りますが。でも店員さん同士で無駄話とか全然オッケーですよ、混ぜて欲しい。)
ちなみに、大学のとき制服を着るバイトを2,3していたのですが、あるときは、何故か忘れたけど靴を脱いでるところにお客様がいらして、制服なのに下は裸足のまま歩き回ったり、、あるときは、ひどい寝不足で溶けそうに眠いまま立っていて、お客様が来たときに「いらっしゃいませ」と言いながら、スーッと眠ってしまい、のけぞって膝がガクンッと飛び上がったことがある(そして驚いたお客様も飛び上がりました。)こういうのは公私の別とは関係なく、ただだらしない表れでございます。気にも留まらない存在であるべきなのに、裸足だったり、いきなりガクンッと注意を引きすいませんでした。


制服じゃない商売、大型店舗ではない商売といえば、自営業の町のお店が思い浮かびますが、これってその人らしさが「カイマ見える」どころじゃなかったりしますね。特にわたしは駄菓子屋が思い浮かびます。子どものころ、町内に一軒は駄菓子屋があって、子どもの間ではどの駄菓子屋に通ってるかで町内分け意識があったくらいです。「越境」していつもと違うお店に行くと、そのお店の品揃えや雰囲気や慣習が違っていて、ちょっとした異文化体験でした。 わたしたち近所の人たちが毎日通っていたお店は、一人暮らしのおばあさんが一人で経営していて、みんな「おばあちゃんち」と呼んでました。わたしもよく祖母に「おばあちゃんち行ってくる!!」と言って出かけてました。おばあちゃんちには思い出があり過ぎてとても書けないのですが、ちょっと離れた町内にある駄菓子屋は、すごかったんですよ。その町内の友だちはみんなそのお店に怨みを持ってる感じで、いつも話題になってたんです。とにかくお店のおばさんが怖くて「子どもを見たら万引きと思え」という方針だったみたいで、いつも1m定規を持っていて、子どもが一歩お店に入った瞬間から怒り体勢で「早く決める!!」「買わない子は出てきなさい!」と怒鳴り、うっかり商品に触ってると太ももをひっぱたく(赤くみみずばれになる)という、2分以上いたら死ぬって雰囲気なんです。不思議なことに、この町内の子どもたちは恐怖で縮み上がりながらも通ってたんですね。わたしも友だちに連れられて行ったことがあって、あまりに怖くて、生きてお店を出れたときには安堵のため息が出たほどです(ももを赤くはらして)。いやー、けったいな町もあるんだなーと、カルチャーショックを受けました。画一化されてないお店って、いいですね。