今週記憶に残った一言

よそさまの会話からの抜粋(…盗み聞き??)

「もう地球が滅びてほしい、、でも滅びる前に、エミがふられてアパートも追い出されて欲しい」
何があったか知らないけど、大げさなわりに、ものすごくセコイ怨念にかられていて、サッパリ感すらありますね。エミやアパートはおいといて次行こう、いや、もう次行けてるでしょう。


「『私は日陰の存在,あだ花,でもまとぶんは違う!』みたいな…」
…喩え??「違う、みたいな」ってどんなみたいなの??わたし時代遅れだからわかんないんだけど文脈上小説かアイドルのことかな??だったら興味ないな、と思ってたけど、ふと思い出しググッて見ました。
マトブンってタカラヅカなのかー、、それならオッケーです!!
ミラーボールで目くらましにあうせいか、わたしは宝塚に関しては無条件でオッケーなんです。思えば、明治だか大正の「近代化」のなか、「女が舞台に立つ」という当時は意味のわからなかったことが起きていて、そのなかで生まれたんですよね宝塚歌劇。戦前・戦中・戦後とわが国の西洋主義やオリエンタリズムや男女主義を内面化しながら、(…略…)、そうしたことを経たうえで、経たのに、経たからこそ(の「歴史3段活用」のもとで)、いまあんな突拍子もないことになってると思うと本当スゴイと思う。
あと、大衆演劇もそうなんだけど、舞台と客席との共犯関係みたいなのが、わたしにはたまらない。特に宝塚のスターは本名・芸名・あだ名という仮面3段活用もあるわけで、あ、あと役名、「仮面4段活用」だ、、これはすごい。芸名と役名だけで見ているうちはまだまだビギナー。役柄を通してにじみ出てくる「まとぶん」っぽさとか、まとぶんならではのナントカとか、宝塚の醍醐味はニックネームが使いこなせてこそ味わえると思う。だから宝塚のハードルは、いかにニックネームがわかるまで客を通わせるかだ(いきなり偉そうでしかも余計なお世話だ、誰だよわたし。)
って、知ったかぶってるけど、わたしが宝塚を見たのは10年以上前、、友だちが好きだったんだけどわたし自身はサッパリわけわかんなかったんで、、いい加減なこと言ってごめんなさい。でも、宝塚のこと考え出したらワクワクしてきちゃった、わたしもまとぶんが好きな気がしてきた。まとぶん、いつか日比谷に見に行くから!!

というわけで、単語がわかったところで、誰がどういう状況なのかさっぱりわからないこの喩え(?)に一気に好感を持ちました。