電気消す派

わたしは「使わない電気はすぐ消す派」なんだけど、これってもう習慣になってるから、「何か思うところがあって消す」というより「いつの間にか消してる」って感じ。つけっぱなしになってると、ズボンのチャックが開けっ放しのような、水道の蛇口がちゃんとしまってないような気持ち悪さがあるのです。


で、わたしはそんななのに、実家は「電気つけっぱなし派」なんですよ。特に母親。「派」というほど積極的につけっぱなしてるわけじゃないけど、わたしにしてみれば実家は「消しどころ」満載なわけで、つい消して歩いてしまう、、わたしにとっては「蛇口しまってない」だもん。


そうすると母親が文句を言ってきます。「ちょっとー、そんなにバシャバシャ消さないでよー。『暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう』って知らないの?」


まったく、なんたる詭弁!!


だからわたしは言いますね。「あなたがこんなことしてるからボノボやマウンテンゴリラがひどいめにあってるんじゃない!!!」


…われながらこれもどうかと思いますけどね。

うちの電気いつからそんな世界規模の影響力もってんだ?とかね。
でもわたしのイメージでは「ムダづかい*1(=地球規模の経済/政治/開発の邪悪なブラックボックスと連結)→イノセントな、(一方的に)愛すべき仲間たちの危機」なのです、、


考えてみれば、わたしが電気消す派・ゴミ注意派・レジ袋ペットボトル不使用派になったのはエコ運動&エコ宣伝があったからこそだと思う。(エコにかこつけた商品戦略やロハス的な市場開拓についても、基本的にわたしは消費の扇動反対なので疑ってるけど、それでもエコを無視するよりはマシとも思うんです。)そのおかげで「このままじゃいけないんだ」という意識が高まり/煽られ、「できることはやらないと!」につながり、「さもないとわたしたちのお友だちのオランウータンやカバさんをますます苦しめてしまう!」という(多少?の勘違いと飛躍はありますが)罪悪感つきの義務感にかられたわけで、たとえ安易なことでもたとえ誤解でも「気をつけてる」と思える行動をすることで、自分の精神の安らぎと安定は得られていると思う。

そうなんです、自分の精神の安定。

そういうわけなので、つらくなりそうだから『不都合な真実』とか見ないつもりでいたんですが、このあいだうっかり環境活動家の話を聞いちゃってまた気持ちに負担なの、、、えーん、、庶民をエコの重圧から解放してくれー。大企業がやれー。

*1:何が"ムダ"かってのは実際のところわからなくて勝手にイメージしてるんですが。