わたしもそう思っています/でも意見は違います

偶然知ってしまい、特別繊細なわたしはちょっと傷つきました。
わたしが死刑制度に国民カウンセリングつけてくれ、って書いたことについて、


「TVの連続殺人報道をカウンセリングなしで見ていられるのはどうしてだい」  だいたい、残酷な報道には好奇心が勝つくせに、死刑執行では急に繊細風が吹き荒れて、挙句の果てにカウンセリングにお任せだなんて、随分勝手で空っぽなアタマだこと!


と批判するブログがあってひゃー強い口調で叱られた!と動揺しましたが、でもこのエントリは、別にわたしを指して非難されてるわけでなく、ご自分の主張にわたしの一文が使いやすかっただけだと理解しました。だから恨んで文句が言い返したいわけじゃありません。このわたしの一文と、この方の想像しておられるような「平気でテレビ報道は見るくせに急に特別繊細ぶって大臣非難する人」像が重なってしまったのは、わたしの書き方が空気頭だからだなぁと反省しました。


でね、空気頭の言うことなんて読むに値しないからこれもお読みになってないと思いますが(←あ、恨んでる言い方になっちゃった、、)、わたしもたぶん同じように捉えているんですよ。ただ、わたしは反対意見なだけで。


つまり、わたしも、お大臣一人に責任をおっかぶせて涼しい顔して反対してるつもりはなくて、

「責任の所在をくらまそうとする」という論旨の意見も見かけたりするが、「責任の所在」も何も、今のところ死刑が法として現存する以上、望むと望まざるにかかわらずそれはこの国の「法」なのであって、つまりは国民がそれを「所有」しているのである。http://hontohe.exblog.jp/8176199

そうなんです、だから負担なんです。
わたしはテレビの報道バラエティを見ないのですが、もしもそういう番組で連続殺人報道を見たとしても、死刑執行と同じようには感じないと思います(何も感じないという意味ではありません、念のため。)殺人事件は「賛成反対」とかいう問題じゃないし、それに(たとえわたしを含めた社会にも要因があるとしても)やっぱしわたしがやったことではないです。でも、死刑は国がやることで、わたしはその国民の一人です。自分の立場も負担も違います。わたしは死刑をとても怖いと思っているし反対なので、この立場がすごく苦痛です。反対じゃない人にも重い負担なんじゃないかなとも思っています。そういうわけで、裁判員制度(のカウンセリング言説)になぞってみたのです。


というわけなのです。
特別繊細な空気頭(←あ、また恨んでるみたいな書き方しちゃった、、でも自分で考えてみて、しみじみそう思ったんです、わたしって「わたくし特別繊細でございます」だなって)なので、怖いことになると怖いので、普段は他の方のブログについて考え方が違うと言って取り上げはしないのですが、今回は考え方が違くないのに違うみたいになってる、、と思ったので。、、すいません。


ついでに超どうでもいいと思いますが
・あたしTVはつらいので殆ど見てません。TVを見ないという選択があって良かったです、おかげでカウンセリング行かなくて済んでるのかも、、(でも、おかげで知らないことだらけです。)
・わたしはカウンセリングをよく知りませんし、カウンセリング内容にも良し悪しがあると思いますが、ただ、さんざん好き勝手して自分が困ると「他人のカウンセリングに手放しのお任せで」というのは、ちょっとどうかな。カウンセリングに行くのって他人にお任せではなくて、打開策を見出そうとしてる人の方法の一つなんじゃないかな。