貧乏で家族がないと?

わたしテレビ見るとしたら教育テレビなんですが、昨日と今日ご覧になりました?
ハートをつなごう
今回は生涯福祉賞の受賞作品を紹介しています。


もうね、昨日も今日もホント見ているだけで楽しくなるステキなご夫婦のお話で、思わず親や友だちに「いいから見て!」ってメールしました。(無視されて返信すらありませんがね!っつたく!)


昨日は、「筋ジストロフィーと闘う女性が充実した仕事や結婚生活を送る姿を見詰めるとともに、中学時代などに悩み苦しんできた心の内を語ってもらう。」
今日は、「左目を失明した上に脳梗塞(こうそく)で右半身まひになった夫と、共に歩んできた妻の姿から夫婦の在り方を探っていく。」


陳腐なことをいいますが、大変なときがあっても前向きでいらして、わたしも元気をもらいました!(うわっ、ダメ感想文丸出しになっちゃった!)でも、本当にそうなんです。家族に病気になった人がいるとき、というか普段から、こういうステキな人たちのこと見習いたいって強く思いました。


ですがね、


もう一度番組紹介の文を引用すると、

筋ジストロフィーと闘う女性が充実した仕事や結婚生活を送る姿を見詰めるとともに…」
「左目を失明した上に脳梗塞(こうそく)で右半身まひになった夫と、共に歩んできた妻の姿から夫婦の在り方を…」

なのです。


どちらもご夫婦。どちらのご夫婦もお互いに対して思いやりがあってホントすてきで、偶然いい夫婦というより、自分たちで築き上げていいご夫婦なんです。で、ステキ過ぎて、それが愛情表現でもあり日常のやりとりであるようなので、すんなり気づかずに見てたのですが、思えば、介護的なこと(何を「介護」とみなすかということも問題とは思いますが)はすべて配偶者がやるという前提になってるような、、、。
だから、素晴らしいパートナーにめぐり会えて、この人たち超うらやましいわ!!わたしもよしふみさんと結婚したい!と思うと同時に、家族がいないとどうなんだろう?不安になりました。


夫婦や家族の愛情のお話はいいんですけど、家族や配偶者を介護の基本単位みたくするのはどうなんでしょう?結婚できないから言うわけじゃ決してありませんが、これってわが国の家族制度の呪縛ではなかったでしょうか。


この『ハートをつなごう』という番組、前も見たことあるし、見るたびにありがたい番組だと思うのですが、番組のスンタンスが控えめすぎるように思えます。いままで声を聞いてこなかった人たちの話を聞こうとしてくれて、ホント情報としても貴重でありがたいのですが、番組として積極的に働きかけようとはしないようですね。
「こういう人もいるんですよ。こういう感じで大変だったりしますが、とっても立派に頑張ってます」という個人の紹介をするだけで、制度的行政的設備的に改善すべき点やどういう制度が役立ってるかとか触れないし、基本的に障害や問題は当事者(とその家族)だけに関係があることとみなしていて、それ以外の人に関係があるとは言わない。制度や行政面、日常生活でもすべての人に関係あるはず/べきだろうに。


情報を流してくれるだけありがたいし、それが働きかけでもある、とは思うのですが、できればもう一歩踏み込んで欲しいな。「前向きでエライ」という意味でのハートはつながって感動しますが、制度や経済や行政問題は見ないことにして「ハート」だけを見るのは、「現状を変える気ないけど、ま、ガンバッテ」ではないかしら?
家族という名のもと愛情という名のもとで個人に負担をかける制度はそのままで、貧乏で家族がないとどうなっちゃうのか、わからなすぎて不安だし。、、ハートは経済じゃないの?



最近、
「生活にゆとりの時間 有馬稲子 老人ホームでワンルーム暮らしhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2008111402000091.html
という記事を見て、わたしも今すぐにでもその施設に入りたくなってるんですけど、

経費面でも「高くなかったから入れた。億ションだったら、とても私には入れなかったわ」

とはいえ、5千万くらいいるでしょ? 
えーん
、、、いまのわたしの夢は「5千万を手に入れてケア施設に入ること」となっております。