わたしの入門

ここんとこずっと検索ティラ・テキーラでアクセスされる方が多くて、というか、アクセスほとんど全部がそうですが、見てくださった方、どうもすんまへん。どうでしょうかね?最近わたしは自分の不具合に夢中なんで、あれっきりああいう話してないですけど。今日はちょっと。


わたしは10年ほど前に、なんか知らないけどニューヨークで新鮮な経験をいたしました。順番は忘れたけど、その過程で読んだ本が、こないだ発表いたしまいしたリッキーウィルキンズの「read my lips」と、ケイト・ボーンスタインの「gender outlaw」ざんす。リッキもケイトもトランスセクシュアルのアクティビストで、ケイトは演劇なんかもやってた(気がする)。
隠されたジェンダー


特にケイトボーンスタインとは実際に会う機会があり、その後毎日メールのやりとりをして(今は知らないけど、ケイトはその当時ネット中毒だったと思う、メールなんてあらゆる人と一日に10000通やりとりしてたに違いない)言ってみればケイトはわたしにとって短期集中専属教師でもありました。(毎日なにを教わってたか?それはヒミツ!)


当時わたしは「トランスジェンダー」という言葉も知らなかった。それだけでなく、男女とかそういう区別は「普通に自然のこと」として捉えていた、というより、「捉える」とか「考える」ということすらなく、わがボキャブラリーには「ジェンダー」とか「性別」という言葉もなくて、ましてやそれを疑問視する見方になんて気づきもしませんでした。だから、この二冊は、まさに「ほっほーーう!!」でした。どのページを開いても「なるへそ!」と思えて、次から次へとワクワクしたし、今まで鬱積していたナニカが言語化されてきて気持ちもスッキリしました。

ケイトの本は翻訳が出ているようだし、わたしは内容忘れ果てちゃった(感動したとか言っといて…)けど、リッキーの方を最近さらりと途中まで再読しました


「『男』から『女』に性転換したレズビアン」のリッキーはいろいろな場面で(日常生活で、フェミニスト集会で、病院で、ベッドで)の自分の経験を通じて、性別の制度がどのように自分を規制したり排除してきたのか、どのような行動・活動ができてきたか/できないかを、面白く、怒りながら、悲しみながら書いています。

たぶん、わたしがこの本を気に入ったのは、「誰かのこと(例えばわたしのこと)をナニカ(たとえば男/女の必ずどちらか)と判断するなんて何様?」とただストレートに怒りをぶつけるのではなく、「"普通(まったくアホな言い方であるがノーマルとよく言われるまさにその意味でのノーマル")の人が、誰かのことを何かと判断できる何様な立場にいる、と思い込める制度ってなにさ!?」というひねった視点で語られているところだと思う。その何様な制度によって排除されてきた他の人たちへの温かい言及とともに。
フーコーとかジュディス・バトラーとか、難しそうな人も気楽な感じで引用しているんで、ようく読むとそれってそれだけにとどまる議論じゃないんじゃない?と思えるところもあるんですが(よくわかんないけど、研究してる人とかにとってはツっ込みどころがありそう。)でも面白いからいいよわたしは。と思います。そのへんリッキーはとっつきやすい感があります。わたしにとってはいい入門書でした(しかし、、あたし、ナニに入門したんだろ?)

ひとつ、めちゃストレートに怒ってるのがあって、それはジャニス・レイモンドというフェミニスト先生に向けたもの。この人は、書いたもの読むとビックリするくらいトランスセクシュアルに否定的で、MTFは女のふりまでして女の世界に侵略してきた男とみなして敵視しています。フェミニズムがやっと作り出した女の立場/領域だっつのに、ここにまで男が入ってくるのかよ!出てけ!って怒ってるの。このジャニスをトランス仲間でつるし上げて読み上げた文がここに載っているのだけれど、こういう「面と向って言う」という姿勢のアクティビストでもあるのですよリッキーは。

ただ、ものすごいヘンタイでもあるので、イノセントでウブなわたしにはちょっと考えられないような、たいへんエッチに面と向う行動にも出てるんで油断なりません。


…と、まあ、こういう具合でケイトやリッキーに入門して、今まで「自然に普通」と思い込まされてきたいろいろな制度・体制に対して、少し言語化して疑問視することができるようになり、それからものすごく意欲的に勉強(?)しました。めっちゃ本読んだし、いろいろ参加したし、あんなことも知ったしこんなこともした!ほんとにその後の数年が楽しかった。だから、この本は当時のわたしと同じくらいイノセントでウブな青少年にお勧めしたいです。


で、話は飛ぶけど、
わたしはやっぱり、勇気がないのか勉強の成果かナンなのかわからないけど、とにかく自分の立場を決め(られ)ません。ストレートとして、とか、レズビアンとして、とか、バイセクシュアルとして、とか、そういう言及を全くせずにいつもこういうこと書いてるけど、時にはやはり「〜として」と言えたらきっと強いだろうな、と思うこともあります。ただ、どの枠もわたしはそれほどじゃないという気がして、やっぱり主張できないのです。im just sitting on the fense. you can say i got no senseですな。専属の入門先生もヘンタイでしたんで。