「カラーパープル」と「顔のない男」

カラーパープル」はスピルバーグ、「顔のない男」はメル・ギブソンが監督したのだけれど、どちらの監督もヒーロー病にかかってそうだよね。特にメル・ギブソンは重症じゃない?
で、この二つの映画には共通していることがある。それは原作の重要な、エッチな部分を省いている点。


カラーパープル」では(いっぱい省かれてると思うけど、特に)"レズビアン"的な部分。

小説ではこれ重要だと思うんだけど、、、あいつ(スピルバーグ)め、カーテン越しの、ちょっとした仄めかし風のシーンにとどめてっからしに!余興でやってんじゃないんだぞ、おら!ウーピーが演じている人物が、あのナントカってジャズ歌手との関係によって、どんなに力づけられたと思ってんのかし。人に評価されるってことがあのときどんなに大事だったか。しかもその関係は身体を伴う親密な関係のなかに築かれいくってことがとっても大事なはずなのに、あいつめ(、、スピルバーグね)、省きやがってっからしに!


「顔のない男」(大怪我をして「顔を失った}男と、孤独な少年とが知り合って仲良くなる話)ではもっとひどくて、原作にはある"ゲイ"的な部分を「省いている」のではなく、「否定」している。
原作では少年はその男と一夜をともに過ごして、ボクこれからも頑張るよ!風になってるのに、映画では寝ないどころか、男がホモじゃないと明言するの。しかも、そう明言することによって二人の間に信用が成立するのよ。
少年は男がいやらしいホモなんじゃないかと疑い出して、そして自分が「友情」と思ってたものも汚されたと動揺するのだけれど、男がホモじゃないと証言することで、「友情」が確認されてめでだしめでたし、というホモフォビックぶりなの。(未成年と成人とのセックスに関しては、また今度考えてみる。)


どっちも"同性愛的な要素"を消去しているだけでなく、そのときその相手と寝ることが主人公に力を与えるってことを全く無視してるのよ。どうよ、これ。


(「カラーパープル」って今年で20年?経つんだって!ホント?!ぴあの表紙まだ覚えてるわ。今年は舞台もやるんだって。)


わたしはスピルバーグ映画が嫌いなので、、っていうかすっごくつまらないと思うので全然見る気はないのだけど、、、だけど、あんまり話題になるので、好きじゃないことを確認するためにウッカリ見てしまうときもある、、そして、ウッカリ見るたびに、どんなに政治的な世界的な大事件がおきても、それを個人レベル(たいてい男とその家族)のどうでもいいメロドラマの域にまで矮小化させてしまう力に驚いてしまう。そのメロドラマがホンットにただの人情メロドラマなんだから、なにも戦争や社会的な問題をとりあげなくてもいいんじゃん?
というか、見てるこっちが頭が悪くなるから取り上げないで欲しい、とさえ思う。
なんで人気があるの?、、っつうか人気あるの?「ジョーズ」と、車のやつ「激突」だっけ?あれは面白かったけど、、、、。