『夜よ、こんにちは』

イタリアの赤い旅団によるモロ首相の誘拐暗殺事件を、実行犯のなかの一人の女に焦点をあてて描いた映画。彼女は「夫と新居に引っ越してきた図書館勤めの妻」を装いつつ、他の3人の実行犯と共に、隠れ家(新居)にモロ首相を監禁する。


二つの極にいる実行犯たち。

「誘拐」と「日常」
「組織の決定」と「個人的な感情や良心」
「信念」と「メディア/大衆による自分たちへの評価」(そして、「夜」と「昼」すなわち、月の暗い側(隠れ家)と明るい側(大衆/一般ピープル) …ピンクフロイドいいわ〜)

この対極のなかで、「自分たちの行動理由」を問い、別の解決まで夢見ながらも、組織の計画を実行していく様子が映画には描かれている。


この映画が秀でている点は、上にあげたような対立する概念が、別々に存在して対立しているのではなく、分かちがたく重なり合い、影響しあっていて、どこからどこまでとは区切れないで描かれているところだと思う。これが冷静に描かれていてすばらしい。


(ただ…「赤い旅団」というだけで通じると思ったのか、どういう大義名分で行っているのかはわたしにはあまり伝わってこなかったので、「えっと、、プロレタリアと何が対立してるんだっけ?」って気がしてしまったのだけどね。(それだっても、実行という孤立していて地味で神経質な潜伏のさなかには「そんなものなのかもな」と想像力で補って見ることができた。))



(ここで思い出すのが『バッシング』なのだけど、これはまたいずれ。)