『ボインでごめんなすって』

判断つきかねている。
怒るべきか、誉めるべきか、それとも、軽く受け流すべきか。


『ボインでごめんなすって』 山中恒・著 (昭和49年・秋元書房)
   

中学二年生のボインの親分がその子分(男子3人)とともに活躍するお話。


この小説、ムッとすることは、例えば、
登場する女子は、その容姿によって評価されていること。つまり、ボインか否か、パンティか毛糸のパンツか、ぼさぼさの三つ編みか最新のボブカットか、といった事で評価されているのです。
そのうえ、「読者男子諸君もウハウハ喜び、読者諸嬢「ウンマア・イヤーネエ」とかなんとかいいながら、けっこう楽しみ」そうな、(女子に対する)エッチがらみの出来事ばかりなのですが、


しかし、わたしも「ウンマア・イヤーネエ」と思いながら、だんだん「ボインの親分、すてき」という気にもなってきました。
「おや、これはなかなか」と思うところがあるんですよ。例えば、、、、うぅぅぐぅ、、今は言えないんですけど、、、(忘れたわけではありません、覚えているというわけでもありませんが)。男/女、親分/子分という位置づけ、もろもろ含めて、あと時代も考慮にいれて、いつかきっと詳細を!(と今のところはやる気。いつも口先だけですけどね。)

詳しくは→ http://d.hatena.ne.jp/spongey/20070115


とりあえず気になるというほどでもない気になる2点

○読者として誰を想定していたのだろう? オンライン書店もない時代だよね。
 このタイトルとこの表紙、「読者男子諸君」や「読者諸嬢」は買うのに少し勇気がいたんではないか?
 「男子」や「嬢」を過ぎたわたしみたいなおばさんおじさんが買っていたとも思えないし、、。


● あと、この時代には「水に溶けるパンツ」が流行ったのだろうか?
 小説にも「塩水で1時間もむと溶けるビキニ」が出てくるのだけれど、この本の最後に秋元文庫シリーズの広告に、

幻余次郎著『よく遊びよく遊べ』
人の恋にはオチョッカイをだし、水洗便所に金魚を放す放課後族に対抗し、女生徒たちも大ハッスル、水に溶けるパンツをプレゼントし大激戦!

きっと「水に溶けるパンツ」は、想像力をかきたてるアイテムだったのですね。