(ドラマだけど)『リーグ・オブ・ジェントルマン』

ヤフー動画のドラマコーナーで『BBC リーグ・オブ・ジェントルマン 奇人同盟!』を無料配信しています。(わたしは第二話まで見ました。いま確認したら、第一話の配信が終わって、第三話が入ってる、みなきゃ!)



このドラマは、
 「一人の青年が、ナントカ村を訪れる。
  このナントカ村は、恐るべき奇人変人の村であった!」
という、筋のほとんどないナンセンス・ドラマなのですが、
   (村の入り口に「入ったら出られません」という札が立ってる)



このあいだ「郊外」の商業地化にショックを受けたせいか、
グローバル化の視点からも、大変頼もしいドラマに思えました。

「地元民をナメんなよ!!」です。


というのも、面白いところを骨抜きにして、骨組みだけ見ると、


①「目的」をもった人物は、それを達成できない。
 

・村に来た青年の目的は「友達とピクニックに行くこと」。だけれど、わたしが見た二回分放送では(この友だちに会いに行かせて貰えないし、電話もさせてもらえないし、電話ができてもうまく連絡できず、)ピクニックどころか会うことすらできない。

 
・「開発」に来た人たちは、ローカル・ショップより先へは進めない。(このローカル・ショップは「関所」でもある。見てない人に申し訳ないので言わないでおきますが、このお店の狂気の沙汰はすごいです。「関所」としても頼もしすぎる。)

など。


→そもそも、この「よそ者」たちは、自分の「目的」は遂行できて当たり前と思い込んでいるのだけれど、それが通用するのは自分たちの世界のみ、この村では通用しないし、万国に通じる「目的」なんかではない。目的のたて方じたい、ある社会のルールに基づいてるにすぎない(、それがまあ、、「文明国」のルールだったり、「先進国」や「企業」のルールだったり、)



・「職業安定所」があって失業中の村人が通ってるけど、この職安に通っている限り、絶対に就職できないという不条理で狂った安定所。(でも職安に行かないと失業手当を打ち切られる)


→安定所で職業を得ようと主張しているのは一人だけ。他に就職を気にしているのは「就職が目的なのに!」とジリジリ見守ってるわたしたち視聴者かな。このキチガイじみた職安がなんなのかわからないけど、↓②に関連して考えたい。



② 貨幣経済ではない、何か別のルールに支配されている
 
・ローカル・ショップ(地元の客にしか売らない、地元の客は来てないけど)
・枯れた花を売るお店
・職安
・万引きされた兄弟店(←これがなんなのかまだわからない)



(、、あとなんだっけ?、忘れました、、。)



現実には、もはやローカルが独立していることはできないし、経済力があるかないかという力関係があるし、グローバル化の支配に抗うのは大変なことです。
これは、だから、あらゆるレベルで非現実的なドラマなのですが、でも、ローカルの力を見せつけてくれて、気持ちがいいです、、いや、「気持ちがいい」ドラマでは決してないんですけど、、、ホタテマンの歌で「♪地元をなめるなよ!」という感じです。 
 (もちろん、ローカルは別次元の生き物だなんて言いたいのではありません。あんな下品なローカルはわたしくらいです。)


 いまはお金さえあれば移動が簡単だし、テレビやインターネットを通じていろんなことがみれるから、いつの間にかどこでも「同じ認識」を共有してるという気になってしまいがちですが(←わたしは、)、でも実は、全然そんなことない、、わたしたちはよそ者同士なんだ、っていう緊張感もあったほうがステキよね、と思ったし、なにより「同じ認識を共有してる」感は、実は経済的文化的に不均衡な力関係のもとに展開(強要)されるってことも思い出すべきだなあ、と思ったのです。



ま、こんな風にあのドラマを見てしまう、わたしの見方に反対の方もいらっしゃるでしょうけど、わたしはこうして「郊外」ショックから気持ちを切り替えられました。



それから、
このドラマには、性転換手術をする予定のトランスジェンダーのタクシーの運転手が出てきます。MtFです。怪物チックに描かれているので、まるで「性転換すること」が奇人の「奇人たるゆえんの一つ」かのようにも見えるのですが、しかし、わたしにはこの人が一番気持ちよく見ていられる登場人物です。この人は、自分に満足しているし、自分が何をしたいのか、何をするつもりかちゃんとわかっていて、独立してる人だからです。

 もうちょっと見てみないとわかりませんが、もしかして「タクシーの運転手」というのが何か象徴的なのかもしれない、「トランスファー」に関わるような。


リトル・ブリテン』が大好きですが、これもなかなか、二回見たいかはさておき、楽しいです。