『テラビシアにかける橋』

話は忘れ果ててたけど、むかし、この小説を読んで泣きました。そして先週、映画も見ました。泣きました。なので感想を書きます。映画を見ていないと意味が通じないと思いますが(見てても意味不明かもしれませんが、)
基本はネタバレでございます。


1. 少年少女がみんなカワイイし美しい。

2. 映像もきれい。
  ( ふだん邪悪なことしか考えてないわたしも心が洗われました。)

3. 憧れの先生がボンクラ過ぎないかし、、、


4. あの可愛いお転婆さん(レスリーって名前)が立派なダイクに成長するのが見れなくて残念!
  これは冗談ってわけでもないのです。レスリーは「女の子らしくないこと」ばかりが好きだし得意なのですよ。いわゆる規範的なジェンダーを帯びてない、それから、キリスト教も信じてないし、テレビも見ない。「周りと違う」とマークされた子なわけで、、そうなると、わたしの触角が反応するのです。だから、その子が死ぬ(排除される)となると「ややっ?」と思うのですよ。どういうこと??って。
で、考えたのですが、
 「現実の世界(家族や学校といった社会や規範的な秩序)」では生き延びられず、「想像の世界(テラビシア)」においてかれる/放逐される、ってことかな???


5. というわけで、↑だとしたら、「想像の世界(テラビシアやレスリー)」を葬るか胸に仕舞い込むかして、少年(ジェスって名前。レスリーのお友だち)が「現実の世界」で生きていくべく成長する話なわけ??…と途中までは思ったけれど、結局そういうわけでもなさそうだった。葬り去るのではなく、橋をかけて渡っています。
タイトルからして、それらの世界を結ぶ「かける橋」だしね。

6. だけど、その割には、どんな感じで二つの世界が結ばれたのかイマイチまとまってなかったと思う。それでいいんだけど、橋が架かったからなんなの?ってのがわからないまま。兄妹喧嘩は収まったけど。


7. それにしても、そのファンタジーワールドって「王国」なんだ、、共和制じゃなく、、。


8. ということで、少年(ジェス)の成長は、現実の世界に身をおきつつ、ファンタジー界の「王様/主人」あるいは「所有者」になるってことか? (比べてみると、レスリーのファンタジーへの接近の仕方は、「主人/所有者」としてではなく、ファンタジー界の一員っぽかった。)


9. レスリーが死んで、ジェスのお父さんがジェスを慰めるシーンがあるんだけど、そこでお父さんは「(彼女がお前にくれたものを大事にしなさい、そうすればお前の心のなかで彼女も生きていくんだよ)」みたいなことを言うのです。 …こう書くと人格を疑われそうだけど、少年ジェスが「王様・所有者」になったもう一つの点は、こうしてレスリーの存在を自分に都合よく解釈&利用できるようになったことにも見られると思う。亡くなったレスリーは、もはやファンタジー界の住人と同じなわけで。、、少年はそこの所有者。(…なんて言うと、なんだかイヤな感じ。、、ごめんなさい、映画はこんなにいやな感じじゃないんです、、ここまで言ってません。ここまで言ってないし、どこまでも特に主張してなくて、焦点が曖昧なのが、この映画の良かったところの一つだと思います。)


10. ま、ファンタジーを葬ったり胸にしまったり踏みつけたりして成長するのでなく、少なくてもファンタジー界を「大事にする」主人公なわけで、頑張って欲しいと思う。(なんのこっちゃ。)