24・40・2

昨日落語会に行ったんだけど、その落語会はさておき、近くの席の人が暇さえあれば「寄席は行ったことないけど、行く気がしない、だって面白くもない話を延々と聞かされるんだろ、落語会に比べたらレベル低すぎてウンザリだぜ」って、これだけの内容を、あらゆる似たような切り口(「ナントカ師匠もやっぱ寄席でストレス溜まってたんだろうな」とか)で延々と話してたんです。寄席をバカにしてっからしに!
これまで強く何かを思ってたわけじゃないけど、おかげで、寄席の肩を持ちたくなりましたよ。


ちなみに、
寄席は、前座からトリまで4時間くらい、落語、講談、色物など入れ替わり立ち代りで出てきます。
10日ごと(最近ゲイ喬、、あら、「芸協」と書こうとしたらゲイ喬になっちゃった。普段のボキャブラリが知れますな。)芸協は5日ごと)に出演者が一応決まっていて(日によってかなり変わるけど)、前座からトリまでを1公演とすると毎日昼席夜席の2公演。昼夜併せると40人(組)くらいの出し物がでます。ちなみに東京の定席は10日ごとに落語芸術協会(略して芸協)と落語協会が担当します。なので、このどちらかの協会に属してないと寄席に出られません。


落語会は1日か2日ほど特別に開かれる会で、出演者が決まっていて、その人たちの名前で売り出されるもの。ちなみに昨日は2人会でした。紀伊国屋寄席のように演者だけでなくテーマや演目が決まっているものもあります。前座にはその人たちのお弟子さん。寄席のように色物が出る場合もあります。


って、ここまで書いて、はたしてこの説明でいいんだっけ?と思ってるうちに寝る時間になっちゃいました。この二つの違いがお客と出演者にとってどういうふうに出てきて、それぞれの長短は何か、ということが話したかった気がするけど、今日はここまででほっぽり出します。本題はいつか続くかも。忘れるかも。


ところで、「24」というドラマ見てるんだけど、いまシーズン1の真ん中ヘン。どうなのこれ。家族を守る男(ついでに愛人にも「協力」させる、でもその協力はあくまで「従」なのね)と、夫/父がいないと何もできないわ!みたいな女が話の中心になってて、わたしの好みじゃないなぁ。話も結構ダラダラしてる気がするし。貸してもらったから全部見るけどさ。

今年

今年のわたしの課題図書は(誰からの課題だよ?)「ガルガンチュア」と「雨月物語」なんです。「雨月物語」は怖かったらどうしよう?!と怯えながら本を開き、序章の途中まで読んだだけで寝ちゃったんですが、そのままものすごい怖い夢見て、恐怖のあまり起きてしまったほどです。、、たぶん違うと思うけどある意味すでに満喫できてるかも。


あとカレンダー。去年はいいカレンダーをもらえたけど、今年は「仕方ない、自分で買うかな」とまず世界堂に行ってみました、けど、すでに全然売ってなくて、「仕方ない、自分で作るかな(めっちゃ下手に)」と思ったけど、その前に、ふとアマゾンをチェックしてみたんです。
どれもあれだなぁ、、と諦めかけたところに、彗星のごとく
Torchwood officail calender 319円が!
コレだがや!と即購入。送料無料なのに、大きな立派な箱で送られてきました。


部屋に飾るには、なんか、ちょっと、、恥ずかしい気がするけど、、、気のせいよね。
  
だけどさーあ、これがオフィシャルなの?俳優の契約とか関係してるのかな?
主な登場人物5人のうちの3人(写真右)と、あとその3人のうちの1人のカレシ(めったに出てこない)の写真しかないんだけど、、、、あとの2人(一人はアジアン)はいずこへ?、、ヘンな宇宙人も出てないし、キメた風の写真もない。9月なんてめったに出てこないおっさんのアップなんですけどー。


(いま知りました。パート3にあの二人は出てないのですね。ガッカリ。)

今年

今年は引越して仕事を変えたため、労働時間は倍、なのに賃金は激減という、もしやもっと上手い方法あったんじゃないの?というチェンジの一年でした。
労働時間が倍になって自分の時間が減った(とはいえ、以前も何をしていたわけでもないけど)だけでなく、首が痛くなってPC時間を減らしたので、ブログを更新しないばかりか、ブログに書くような何かに当たることも減ってしまったのです。


こうなってつくづく思うけど、他の人のブログとかインターネットから入る情報ってわたしにとってかなり大事なんだな。それがないと、ほんっとにまったく意味を見出せない情報かあるいはディプレッシングな情報だらけだもん。だからブログを読ませていただいている方たち、ありがとうございます。
PCに向う時間や読書やらが減ったからって、別の何かが充実してるとかそんなんじゃなくて、ただただ労働時間が増えただけなので、これを変えるにはどうしたらいいんだべ?って毎日思っています。ま、こんな風に思うだろうとは予想していたので、想定のうち、かな。


そんなわけで、もう年末ですが、うちのメダカも年を越せそうですし、ま、いい年だったかな。東京に戻ってきたおかげで友だちともよく会えるし外出の機会もぐんと伸びたし、戻ってきて良かったって思ってます。


今年最後の読書は、なぜかラブレーとかいう人の「ガルガンチュア」。
教養ないんで面白さがわからなそう。わたしも酔っ払いだからいっか。
どうもブリューゲル画集があると助けになりそうだけど、わたしが思いつくのは九里洋二のブリューゲルです。


どうぞよいお年を〜

また泥酔した

もう絶対お酒飲まないぞ!!!

、、って今までも百回くらい誓ってきたんだった。
恥の多い人生を送ってきました。


いくら次の日に反省しても
ほとぼりが冷めるとまた調子に乗って飲んじゃうのよね。
だから考えました
お酒飲まない!だといっきに破って終わるから


次からは、一杯飲んだから、次は水やお茶を一杯というふうに
交互に飲む!、、どうせ酔ったら何飲んでもわかんないし。

才能なのこれ?

昨日何故か「さあ、自分の才能に目覚めよう」という本をもらいました。
「ビジネスで成功!」系の本とわたしに何の関係が?!と思ったけど、この本は基本的にただの性格診断テスト本でして、しかも、悪いことは言わず誉め言葉で描写してくれるんで、全然悪い気はしない。
で、その強み発見テスト、インターネットのHPに、本の表紙に印刷された番号を入力して、質問にイエス・ノー中くらいと答えていくテストなんですが(わたしやり方を読まないでやったんで、最初の数問は思ったとおりにできなかったけど)
結果を読むと、まあ納得しなくもないっつか、

この本の解説は、一応「ビジネス場面で活かそう!」みたいな解説ではあるけど、わたしは全然そんなこと考えてなくて、

例えば「わたしの強み5つ」のうち
「最上志向」っていうのがあった。これはこんな内容↓
「優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。」って、わたしは努力ギライなので言い得て妙そもそも現在の能力の判断規準自体が競争社会的なことに疑問を持ってるんで、その規準を絶対視して、誰が何のために努力しなきゃなんないの?って思うのですよ。その規準が、規準未満を認めないことの方が問題じゃないか!って。だから「平均」や「規準」をもってして人に努力を強いる気はないし、自分に努力を強いる気はそれ以上にまったくありませんよ。一方で得意なこと好きなことはどんどん奨励されたい。でもさ、これって才能なんだろうか。


それから「着想」ってのもある。
「見た目には共通点のない現象が、何となく繋がりがありそうだと、あなたは好奇心をかき立てられます。着想とは、みんながなかなか解決できずにいる日常的な問題に対して、新しい見方をすることです。あなたは誰でも知っている世の中の事柄を取り上げ、それをひっくり返すことに非常に喜びを感じます。」
新しい見方ができるどころか、わたしが思うことはその前に3億人もの人が考えてると思うけど、
それでも、これ当たり前でしょう、あたし革命目指してるんだから!ひっくり返したくてうずうずしてますよ!


というわけで、この本の意図とは違うかもしれないけど、おかげで、自分の考え方の方向性を再確認した次第です。
あ、そういや、この本には、これらの自分の特質を知ることで「どのような行動を取ることで将来成功するかがわかります」って書いてある。え?!ということは、、革命?!いいの?!しかし、どういう行動が革命なんだっぺな。

性教育

知的障害のある人と性についての講演を聞きました。
なるほどなるほどと思うことばかりだったのですが、一つ、うっすら疑問に思ったけど言語化できなかったので質問コーナーで言えなかったこと。
パブリックの場(そこでやってはいけないこと)とプライベートの場について、視覚的にわかりやすい教材が作られてるという話がありました。その教材を見て解説の仕方を聞いていて、それらが基本的にヘテロセクシュアルを前提にしてる気がしました。講師の人がわかりやすくするために男女の間柄を強調したのだと思いますが、どうなんでしょう。人との関係のなかのセックスではなくて、一人エッチや服装マナーの話が中心だったのですが。なんとなく。結婚してお子さんのいるカップルもたくさんいる、という話でしたけど、確かにヘテロカップルの結婚生活は、基盤となる大きな物語が溢れてるのでよさそうな気がしますが、同性のカップルはどうなるのかな。同性に対する欲望がもしもあったとして、こうした立派な?教材を通すことで、それがまた抑圧されたりして(家族の人たちも)とか、そういうことないのかな。あと被害報告とかも。ただでさえ情報が少ないからどうなんかな。わたしが小中で受けた貧相な性教育も男女カップル以外ありえなかったけど。

寄席

昨日、近所で反戦の何かがあるって知ったんで、手ぶらでフラフラ行ってみました。けど、フラフラ行けるような会ではなかったみたいで、せめて同じ場所で開催してたUFO展を見ようかとも思ったけど、あたくし一人では何にもできないウジウジ人間なので、ただ建物にタッチしただけで立ち去りました。
それで今日は寄席に行ったんですけど(どこにも「それで」とつながる事情はないですけど)落語会ってチケット取るのが難しくて、たいてい気づいたときには売り切れ。その点、定席は当日勝負なので、朝から頑張りまして、偶然席を譲ってもらいました(何も頑張ってない。)しかし、いつからこんなに混むようになったのかし。
トリは円丈、すでに円丈のHPに今日の感想が書いてありました。「まあうけたけど、あれで良かったのかな〜〜あ?」「特にどうということはないが、なんか中途半端なような気がして、いやいや、結構いいのかもしれないけど、なんか、マンネリというか…」と、わたしもそんな風に感じました。そしてそれはそれでよかったです。あと、今日は「ガマの油」の気がする、けど「ガマの油」でありませんように、と思っていたので、今日の感想を読んで「ガマの油」の可能性があったと知り、わたし円丈師匠と円丈師匠について気が合うなぁ、とファンみたいなことを思いました。まあ、ファンなんですけど。死神に苦しむ会(喬太郎ちゃんや昇太も出る!)に行きたいけど、こういうのは全て売り切れなんだな…。
それにしても、強制労働社会で年を重ねたうえで聞くと、しみじみ落語って"ダメ人間"ばっかしの話だよね。よく言われることだけど。ほんとにすてき。よゆうをぶちかましてああなりたいものです。
というわけで、昼席は面白かった人の名前をいくつも挙げたいくらい楽しくて、ノラクラ楽しい週末でした。